毎週、欠かさずに観ているチ〇ちゃんに叱られる
 

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で、『世界遺産』が創設されるきっかけとなった大プロジェクトが紹介されていました。


世界遺産とは、1972年にユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づき「世界遺産リスト」に記載された、「顕著な普遍的価値」をもつ建造物や遺跡、景観、自然のことで
1975年に、世界の文化遺産や自然遺産を人類全体のための世界遺産として、損傷、破壊等の脅威から保護し保存していくために、国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的として作られた条約です。 1972年にユネスコ総会で採択され、発効しました。


★このe1b87755b5aeebd93d96ab888cb30749 (1)番組、ごらんになった方も多いと思いますけど、そのきっかけとなった『アブ・シンデル神殿』についてはまったく知らなかったので、とても興味深かったです。


 ググってみたところ― 

『アブ・シンデル神殿』は、新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世(紀元前1303年頃 - 紀元前1213年頃)によって建てられたもので、大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としていて、小神殿は王妃ネフェルタリのために建造されたものだそうです。

 

壮大な神殿の規模

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大神殿の四体の像は、青年期から壮年期までの4体のラムセス2世像。

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              ラムセス2世の家族の像?

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アブ・シンベル神殿は、アブ・シンベル神殿からフィラエ神殿までを含むのヌビア遺跡群の遺跡の一つで、紀元前4世紀に建造されたイシス神殿には毎年多くの観光客が訪れますが...

アブ・シンベル神殿は、1960年代、エジプトでナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったが、このダムが完成すると、ヌビア遺跡が水没する危機が懸念された。
これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。
世界の60ヶ国の援助により、移転のための技術支援、考古学調査支援などが行われ、世界中から知恵と技術を集めて行われた遺跡移動プロジェクトが実施された。

 

遺跡移動工事の写真

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アブ・シンベル神殿はもともと今の場所にあったわけではなく、現在の位置から110メートル東、64メートルも低い場所にありました。 1960年代にアスワン・・ハイ・ダムの建設がはじまったことで、アブ・シンベル神殿をはじめとするヌビア遺跡群は水没の危機に直面したのです。これに対して立ち上がったのがユネスコ(国際連合教育科学文化機関)でした。ユネスコが遺跡の救済を各国に呼びかけ、世界60か国の援助を得てヌビア遺跡群を安全な場所に移築する計画が始動しました。

1964年から1968年の間に、アブ・シンベル神殿は、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210メートル離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で山ごと移築された。

現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として登録されている。(Wikipediaより)
 

 

アブ・シンベル神殿移動プロジェクトの動画(2分間)




日本でも、建物を解体せずにそのまま移動する曳家(ひきや)と呼ばれる移動する工法があり、弘前城の天守などを移動したことを番組で観たことがありますけど、遺跡全体を移動するというのは桁違いな大プロジェクトです。

 

 

アブ・シンベルから約200Kmほどナイル川の下流にあるフィラエを含めた遺跡は、『ヌビア遺跡群』と呼ばれるは古代エジプト文明の遺跡で、さらに200Kmほど下流には、ルクソール遺跡、カルナック遺跡、同地域のナイル川西岸には王家の墓、王妃の墓などの遺跡群がある、まさにエジプト古代文明の宝庫です。


 

弘前城の天守閣移動(画像は吾妻組のサイトから)

弘前城天守閣





 

 ★★エジプトの遺跡マップ★★

 

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  フィラエ神殿

これも、アスワン・ダムの建設により半水没状態であったのを、ユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった遺跡で、現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。

 

フィラエ島の全景

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イシス神殿

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イシス神殿

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 ルクソール、カルナック神殿、王家の谷 



日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがある。


 

ルクソール神殿

ルクソール

 

ルクソールは、エジプト新王国の時代の都市テーベだった。
第11王朝時代に重要な都市となり、華麗さだけでなく、知、芸術、宗教、政治の中心地として繁栄した。第1中間期の混乱の後、エジプトを統一したメントゥホテプ2世(英語版)が、周辺地域に安定をもたらし、その結果都市が発展した。


カルナック神殿
 
 

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カルナック神殿、またはカルナック神殿複合体、は、古代エジプトの神殿複合体。東西540m、南北600mの周壁に囲まれた壮大な神域を持ち、世界最大の神殿と呼ばれている。

カルナック神殿は、首都カイロからナイル川を南におよそ670キロメートルさかのぼった東岸に位置し、新王国時代(紀元前1550-1069年頃)に繁栄した古代の首都テーベ(古名ワセト、現在のルクソールとその近辺)に建てられた。その巨大都市テーベの一部であるカルナック複合体の名は、近隣にあって一部を取り囲む、ルクソールの北およそ3キロメートルにある現代の村、エル=カルナックより名付けられている。


歴代の王が寄進して増改築を重ね拡張された巨大な複合体であり、中心はアメン神(アモン、アムン、アメン=ラー、アムン=ラー)に捧げられたアメン大神殿複合体(アメン=ラーの神域)となっている。

 

アメン大神殿1



 

アメン大神殿0


 

アメン大神殿2



 

アメン大神殿の図と歴代王の遺跡

 

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歴代の王




エジプト観光なんて考えたこともなかったけど、これほど壮大な遺跡群だと行ってみたくなりますね。

 

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