立ち止まってみて、初めて気付くこと
思ったより多い
景色が全然違う。

大切なもの、大切なこと
今何してるかで、感じ方が変わる。

よくある立ち止まってわかることは
ゆっくりすることの大切さとか、周りに実はたくさん溢れていたことに気付くことだったり
まー誰もが一度や二度は感じたことだろう。

なので、人はちゃんと立ち止まることも
人生の中盤に差しかかると、ちゃんとリズムとして刻み始める。
音符に休符があるかのように

でも、たくさん休んだ時、いつもよりかなり多めに休んだ時に初めて見えてくるものがある。

それは、本当はもう克服してたと思ってたし、問題ではないと思ってたことが実はまだ自分の不安要素としてあるってことだ

どういうことかと言うと、たとえばライバル視とか、他人と自分を比べることとか
大人になったり、賢くなればどんどんしなくなる。
自分は自分と思えるものなんだけど、
自分の想定を超える休暇を自分に与えると
もう克服してたはずのものが湧き上がってくる。

走ってる最中や当たり前に休んでたくらいの頃は全くなかったのに、、、

例えるならば、氷山一角のようなものがあって、水面下の氷山もどんどん無くしていき、そして水でタプタプにして、もう確実に氷山は無いよねってなってたところに

しっかり止まったことによって、今までは見えなかったものが、綺麗に水を抜いた状態のようにていうか、水が落ち着いたことによって澄み切って、透明度が増し、綺麗に見え始めて
本当の自分が見えたというか
そんな感じだ。

そこには、今更だけど、俺に関してはあいつ活躍してんなーとか、俺もかんばんないとなーとか、まだまだたくさん詰まってた。
走ってる最中はもうそれで安定してて、他人と自分を比べたり、わっ、俺も行きたかったなーとか思いもしなかったのに、本当はまだまだ持ってたみたい。

だから、止まらずに頑張ってたんだ、、、
今ならわかる。。。

残ってるものは人それぞれだろうけど、多かれ少なかれみんないろんなものが出てくるだろう。

ちゃんと混ざってるって本当は良いことでカルピスでもなんでもちゃんと混ざってたらさほど問題ない。
でも、時に止まって透き通らせて
もう一回確認するのはいいかもね。

もう、他人のことはどうも思ってません。
よく聞くフレーズだけど、まだまだ立ち止まったらみんな持ってるかもよ
持ってるのが良いか悪いかではなく
本当の今の自分をちゃんと把握して
その命をどう使うのか
そこが重要。
もっと自分を知ろう。
そして、隅々まで労ろう。愛そう。

俺はなかなか気付いてあげれなかった自分に会えた。今はただ、抱きしめたい。

あなたのあなたが解決したことにして、見えないところにしまってるその箱
もしかしたら、気付いてほしくて待ってるよ

心配いらないよ、素直になってただ抱きしめるだけ

いつも、いつもありがとう。
共に進もう。