受信力向上補助プログラム (神々との向き合い方)


 今回は、産土神様にお参りし現実的にサポートを頂くための手法を解説させて頂きます。

さて、そもそも神様とは一体どのような存在なのでしょう?

絶対の力を持つ存在、自然そのもの、宇宙をダイナミックに活動させる法則、魂の元であり親、進化した宇宙人、法則、一即全・・・

神と言っても、それぞれの認識で大きく変化しています。

宗教的には、一神教、多神教(自然崇拝)に分かれます。仏教は、宇宙的な法則感をお持ちです。(少々立ち位置が異なります)

ここでは、八百万の神々を祭る日本に根付いた神から話をして参りましょう。

古事記、日本書紀、という日本の歴史・・どちらかと言うと御皇室の系譜を解くように見える書物を御存知でしょうか?

古事記と、日本書紀では歴史の始まりが異なる関係上、最初の神様も変わられます。

古事記における始まりの神は天(あめ)御中主(みなかぬし)神(のかみ)、

日本書紀においては、国之(くにの)常(とこ)立(たちの)神(かみ)とされています。

ギリシャ神話に例えるならゼウス神に当たり、

キリスト教ならヤハウェ神に当たり、

ヒンドゥー教では(ビシュヌ神、シヴァ神、ブラフマー神のいずれか)というような解釈が一般的ではないでしょうか?



参考に、日本の神道が“宗教ではない”ということを御存じでしょうか?

中には特定の神を主神とし、宗教とされてる方や団体もあります。

しかし、もともとは“神ながらの教え(かんながらのおしえ)”と言って、
私達の身近で在り続けたのが、神々と交流する方法=道なのでした。

日本の神々の世界に、強制はありません。

日本の神様は、お名前に示されるように法則を御担当されており、

法則が、日常の当たり前であって、“特に神から人に近寄ることはない”のです。

ゆえに、“人から神々に近づかない限り、神は私達に気付きもしない”わけです。

ちょっと大げさな表現に見えるかも知れませんが、神々からみた物質世界は大変暗く見えるため、こちらからきちんとした作法で伺わなければそもそも分からないのです。

神から観たこの世というのは穢(けが)れが大変多く、基本的に直接出てこられる世界ではありません。

なので、通常神社に挨拶をしに行きますと、その社(やしろ)の神に使える御眷属(ごけんぞく)の方々が神の代わりに取り次ぎを受けるのです。

そして、よほど重要な場合は御眷属(ごけんぞく)さんが御当地の神様に取り次ぎをしてくださいます。

まるで、お役所のようだと思えませんか?

けれども、実際のお話なのです。

では、どうすれば神様に見栄え良く映るのかといいますと、心身をきれいにされることです。

きちんと禊(みそぎ)をしてゆきますと、体、心の穢(けが)れが落ち出し、少しずつきれいになって参ります。

すると、御身がほのかに光ってくるのです。

暗いところに光を見つけるとそれは、美しく映るものですから、神様としてもお気付きになられ、御心を向けられます。

また、足しげく地元の産土神のもとに通われても、覚えれられるわけです。
ある種とても、人間関係のような感覚を受けますよね。

これには、理由があるのです。

神様のいらっしゃる世界を神界(しんかい)といいます。

ここは、宇宙全てがつつがなく運行してゆくための法則そのものの世界です。

そして、私達の地球から宇宙に向けて神界を見ると担当エリアごとに神々がいらっしゃることに気づくことになります。

これは、行政制度と重なります。

日本で言うなら、国の行政、県の行政、市町村の行政と分かれてゆきます。

同様に、地球担当の神々もいれば、太陽担当の神々もいらっしゃり、銀河担当・・・

と立場変われば同様な役目でも責任の範囲が変わられます。

つまり、小規模エリアの法則をご担当される神から大規模エリアをご担当される神まで、

階層も複数段階に分かれています。

ここから目いっぱい意識を広げた視点で見てみましょう。

宇宙御担当の神から見ると、その責任範囲は銀河団や銀河系クラスのまとめ役となります。

銀河団や銀河を御担当の神々から見れば、生れたての銀河や太陽系などが御担当になります。

太陽系担当の神々からみれば、星や星に住む生命体群の担当になります。

星から見れば、星に住まう全ての生命の担当となります。

では、独りで全てできるのかというと、ちゃんと役割が細かく分かれています。

神は働きごとに分かれており、そのご神名(しんめい)から担当のお仕事を類推可能です。
では、産土神とは何を御担当されるのかというと?

土地の神様ですから、小さくは、管轄の町の生命体全ての行政役をされ、それがまとまると一宮(地域のまとめ役)の産土神に御報告され、そこから国のまとめ役の産土神に御報告され・・・と内容によって御担当が変化してゆきます。

そして大切なことですが、“小さく見えても地元の産土神様がより上位の産土神様に引き継ぎをして下さいます”ので、大きな地域担当の産土神様のところに参られても遠回りになるのです。

余談ですが、生れる時もその土地の産土神様が皆さんを受け入れる許可を下さり生れることが可能となるそうです。

人の縁、仕事の縁、旅行の縁、これら全てが産土神様の管轄だそうです。

変な例えですが、同じ町内、市内、区内などにいても行ったことのない地域というのがありませんか?

知識としては、無論知っていますが“行く必要がない”ので行かない。

とこんな調子ではないでしょうか?

ここで注目すべき点は、“必要”なのです。

この必要=縁を作る働きをして下さるのが産土神様なのです。

また、産土神様はいわゆる物質を担当されていますので、私達に近い位置にいらっしゃる神様ともいえますね。

では、産土神様とご祭神は違うのですか?と尋ねるならば、実際に違う場合が多いといえます。

ご祭神の多くは、土地の者が産土神に“土地を豊かにして下さい”とか“水に恵まれますように”とか具体的な依頼をした結果、産土神に招かれてこられた神様です。

仮に、招かれた神様の格が上だとしても、土地においては産土神様を立てられます。

つまり、明確な法則による役割分担があり、これを権限といいます。

神様ごとに権限をお持ちなので、依頼にあった神様に声掛けくださるのも産土様の御担当なのです。

ちなみに、血筋の古い代から神々を大切にされてる家系は、氏神様を祭られている場合があります。

この神様は、その血筋を守るお約束を古き時にして下さったのです。

当然ですが、そのことそのものを忘れた血筋は守られません・・・

また、御先祖様の中に神様の道に近づかれた方がいるケースですと、神上がり(かむあがり)言い、産土様や氏神様の末席(御眷属)として仕える許可がでます。

つまり、その神様の法則のお力の一部を許可の元使わせて頂くことができるようになります。

このような御先祖様に恵まれると、血筋が守られ、比較的安心できる人生を送ることができます。

逆に、神や法則から遠ざかった生き方をされた御先祖様がおられると、未だ光に戻れないため迷い、苦しみ、そこから逃れるため肉体を持った子孫のところに行きます。

こんな御先祖様を本来の道に戻すことが出来ると、それだけで人生は軽くなるものです。

そして、とても大切なことですが、そもそも私達の命は大いなる生命体そのもの(元親の神とでもいえばよいでしょうか・・)の分けられた御霊(命)なのだそうです。
ですから、神や自然の法則に素直になればなるほど、その人生は本来の真の道に近づき、自然と法則に逆らわなくなり、問題がゆるゆると解決していくのです。

そして、神々の世界は、“しろしめす”世界だそうです。

こうしなさい、ああしなさい、という強制などは一切せず、道を準備して頂き、一つ一つの体験を通して“わかる”世界のことだそうです。

つまり、やってみれば“必ずわかる”世界です。

ここからは、産土神様に御依頼をする方法に触れてゆきます。

前段までの話を読んで頂くと、産土神様を思ったよりも近くに感じないでしょうか?

さて、産土神様に近づくには、心身の穢れを取り続けることが大切になります。

これだけでも、自然に光っていくので目立つようになります。

神社というのは、その地域の中で穢れが少なく土地から正常な光があふれてくる場所のことです。

本来は、穢れがなければどこでもその土地の産土神様と繋がりを持つことが出来ます。

つまり体の禊と心の禊が進むと、体を社(本来は肉体も産土神様の一部)として、

どこでも神々を体感できるのですが、

その為には体を組成する原子分子を穢れの少ない状態に置き換える必要があります。

この禊(食から様々な穢れを外し、光を多く摂取する)を続けると誰でも、感応してゆきます。

神々を感じ始めると一気に人生は開き始めることになります。

それは、人が大きな法則の流れの一遍であること、そして、その法則から自身や世界を豊かにする創造が可能となることが分かってくるからです。
当たり前ですが、法則に逆らわず、逆に法則を従い、より大きな位置で法則が地上に整うように行動しだすと、法則そのものと同化し、大きな働きの一部を地上に生きながら受け持つようになるのです。

それは、自然と生かされ、完璧に整った体験の流れとなります。
ここに慢心が起きれば、川の流れに沈み、素直になればただ必然で完璧な流れにのります。


何度も溺れ、浮き上がり、流れに乗りながら、徐々に必要な体験を通し、

人は“神ながらの道”を歩み出します。


生きるということは、今という体験の連続に他なりません。


今を丁寧に、

自然に存在する法則に身を委ね、

完璧に準備された道の意味を受け止めて進む時、

その道は黄金色に輝きだします。


人はどなたも黄金色の道を準備していますが、わからないだけなのです。

わからないからこそ“ひたすら、私に分からせて下さいと祈る”のです。


小声で言上げ(ことあげ)してください。

その真の心からでる光り輝く言霊(言霊)に気付かない神などおりません。


むろん豊かさを祈り願って頂いてよいのです。
また、神々は、人の生死等に重きはおいておられません。

その方の魂の輝きにこそ、重きをおかれます。

魂が輝かれると自動的に、様々な加護が入り始めます。


大難が小難に、安心して、それぞれの道が歩めるように

丁寧に禊(みそぎ)をして頂き、神様方の眼にとまる魂の輝きが出ますように心がけて下さい。


必ず守護が入り、導かれます。