ホッファー『大衆運動』より、気にとまった記述を書き出してみます。

〈創造力をもった貧困者

 貧困は、創造力と結びついている場合は、欲求不満にとらわれることのないのがふつうである。このことは、手仕事に熟練している貧しい職人、創造力を十二分に所有している貧しい文筆家や芸術家、科学者についていえることである。絶えることのない創造力、つまり毎日毎日われわれの手もとで物事が成長し発展するのを見るということほど、われわれの自信を支え、われわれを満足させるものはない。(略)

 ・・・仕事の上で挫折している著述家や芸術家や科学者はーーつまり内にある創造力の流れが枯渇してしまったため挫折している人びとはーー遅かれ早かれ、熱烈な愛国者、人種気狂い、社会事業家、神聖な大目的の闘士の陣営に、知らず知らずのうちに入ることになる。〉


 残虐な侵略戦争を進めた大日本帝国やナチスドイツを支えた全体主義社会のエネルギー源が、多くの人たちの「欲求不満」にあったということでしょうか。直立歩行によって大脳が異常発達した人類は、新しいものをつくること、つまり遊ぶことで満足という安定を保ってきた。ところが、その遊びが足りない、うまく遊べなくなってしまうと、不満がたまり、ときとして人類自身を傷つけるような恐ろしい集団行動をとってしまう。そういうことじゃないかと私なりに理解しています。

 仕事に興味がなく、能力も乏しい人が出世やカネ儲けに血道を上げ、組織のトップになったとたんに仕事のできる部下を排除したり迫害する例が会社や官僚組織でよくみられます。その行動のメカニズムを解く鍵も、創造力の枯渇による「欲求不満」にあるのかもしれません。

 
 世に「賢者」という言葉があります。賢いとはどういうことなのだろうと考えているうちに、ふと思いつきました。

 人類は大規模な戦争を繰り返し、核兵器にあふれたいま、どうみても絶滅の道を進んでいます。つまり持続困難な不完全な生物であることは間違いありません。 

 そうすると、人類の未来を考えた際、なるだけ破滅の道を避けて生きながらえていく方法を考えつき、行く手を照らす力がある人こそ賢い人ということになります。つまり、人間が不完全で危ない生き物であることを自覚し、その制御方法を心得ている人です。

 いまの日本社会で一般に「賢い」と言われている人たちははたしてどうだろうか。自分を含めて人間は危ない生物だからちゃんと制御しなきゃいけなんだ。そう自覚している人がどれほどいるでしょうか。


 
 テレビを見なくなってもう10年以上になりますが、なんの不便も感じません。NHKから契約を迫られる恐れもいまのところないのでストレスもひとつ減ったことになります。企業の宣伝装置としての役割に純化しつつある民放や、安倍自公政権の宣伝装置の度合を色濃く出しているNHKを、わざわざ自分の限られた時間をつかって眺めたいとは思いません。少なくとも私にとってのテレビは、見るというよりも眺めているほうが多いシロものです。アベ政権の宣伝を眺めてやっているのに金をとろうというのですから傲慢にもほどがあります。

 さて、最近読んでいる本を紹介します。先日も触れましたが、辺見庸『1937』。同書で紹介されている『服従の心理』(スタンレー・ミルグラム著)、それから近所の書店でみつけた『大衆運動』(エリック・ホッファー)です。

 感想を書けるほど読みこんではいませんが、残虐行為を働くのはごく普通の人なのだな、と考えさせられます。つまり、戦争というとんでもなく残酷で破壊的な行動にかかわり、支えるのも普通の人たちです。組織なり権威に対して心理的に服従してしまったら最後、自分も殺人者になりうるのですね。

 人類を破滅させかねないような殺し合いを避けるためには、まさか自分だけは・・・というのは幻想であって、自分も「ヒトラー」もそう違いのない人類であるという自覚が必要なのかもしれません。










 日本学生支援機構の「奨学金」は、正確には「奨学金ローン」である。しかし一般のローンもちがう。一般の教育ローンは、未成年で収入のない者に200万円や300万円のカネを貸すことはできない。過剰融資は違法不当な行為である。ちゃんと与信(支払い能力の調査)しなければならない。これに対して「奨学金ローン」には与信はいっさい必要ない。憲法が保障する「教育の機会均等」のためという美しい理念を実現する制度なのだ、ローンではないという建前からだ。

 したがって、返還に関する手続きも一般のローンとはまったくちがう。一般のローンが細かな条項が書き込まれた金銭貸借契約書を交わしたり、重要事項説明を義務付けたりしているのに対し、「奨学金ローン」はじつに簡単だ。誓約書という書類に書き込むだけ。約款なるものはない。月々いくらいくら返しますという書類である。

 一般のローンの契約書には「期限の利益」という言葉が必ずでてくる。分割払いの契約だが、支払いを滞った場合は「期限の利益」を喪失するぞ、つまり一括で全額請求するぞ、という条項がかならず入っている。しかし、「奨学金ローン」の書類にはこの言葉がない。払えることを前提にして貸しつけた「ローン」とはちがう。経済的に余裕のない人に勉強してもらうための公的貸付制度なのだ、という、これも美しい建前からだった。

 カネのない子どもに貸すのだから当然だろう。

 卒業後のことなど予測できるはずがない。返還できなくなる若者も出てくる。以前は、そういう場合は、話しあって待ってくれていた。払えるようになったらはらってくれという姿勢だった。ところが近年それがかわってきた。債権管理回収会社に委託して取り立てをするばかりか、ものの卒業後2年とか3年で、たとえば300万円などの一括請求をするようになったのだ。

 いったい何が根拠になっているのか。学生支援機構が起こした裁判の訴状には、「日本学生支援機構法施行令第5条4項」とあった。支払い能力があるにもかかわらず、いちじるしく返還をおこたった場合は、返還期日がきていないものまで一括で請求できるとある。

 
 (続)
 

 こんにちは。

  2014年分政治資金収支報告書が公開されています。
  自民党最大級の集金装置のひとつに国民政治協会という団体があります。
 企業や企業の役員から毎年多額の献金がなされています。
 ご関心あるかたはぜひ読んでいただきたいと思います。 

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SF20151127.html



 企業献金はやめて公金(政党交付金)を入れるという話から、公金も政治資金ももらっていいのだという話になってしまいました。安倍政権になって企業献金に一層のはずみがついています。
 企業、とくに大企業に日本政府は牛耳られてしまった感があります。
 
 戦争に前のめりなのも、戦争で稼ぎたいという企業の意図が反映した 
 ただ企業がもうかるからといって景気がよくなるとは限りません。今起きているのはむしろ逆のことです。
 法人税を激安にして消費税を絞りとるという政策が進んでいます。 
 
 国民政治協会の最新の報告書については、追って検証したいと思います。
みなさんこんにちは。

『週刊金曜日』の最新号に東北大学前総長の研究不正疑惑に関する記事を、先週号に引き続き書きました。

〈まぼろしのノーベル賞/東北大学”井上合金”事件(中) 「3本の疑惑論文」〉です。ぜひお読みください。
 千代田区議会議員の報酬を月額10万円増やし、一方で政務活動費を月額10万円下げるという案を、千代田区長の諮問機関である特別職報酬等審議会がまとめて、近く答申しそうだとのニュースが流れ、同区に強い批判が集まっている。

 現時点で考えていることを書いておきたい。いささか文章がまとまっていないが、ご容赦いただきたい。

 経費である政務活動費を報酬に繰り入れるという発想が泥棒そのものだが、そもそも務活動費の額を検討する資格が報酬審にあるのかどうか、わたしはかねて怪しいと思ってきた。

 そこで、先日すぎなみオンブズのメンバーとともに千代田区役所を訪問し、議会事務局と総務課に事情を聴いた。結果、ますます疑問は深まった。

 詳細の説明は別の機会にしたいが、私がきづいた問題は大きく2つある。

 1つは、政務活動費の上限額について検討してくださいと、はたして区長はちゃんと諮問したのかという問題である。

 報酬審は区長の諮問機関である。だから当然、区長が依頼したことだけを答えるのが仕事だ。そこで報酬審の議事録や資料をめくったところ、「報酬」「給料」を検討せよとの諮問書やその説明はみつかったが、「政務活動費」を検討してくれという諮問書はない。議事にも説明はない。この点、総務課長にたずねたところ、2015年4月1日付でつくられた追加の諮問書なるものが存在することがわかった。だがこの追加諮問書は、議事録にもなければ、これをもとにした議論もないのだ。

 奇妙というほかない。

 2つめの問題とは、条例上、報酬審に「政務活動費」を検討する資格があるのかという疑問である。

 報酬審がつづいているさなかに報酬審の条例がかわるという経緯がある。旧条例では、特別職(区長、副区長、議員)の給料・報酬に関する区長の諮問機関という位置づけだった。それが新条例では、特別職に教育長を加え、かつ諮問可能な事項として「給料」を「給料等」に、「報酬」を「報酬等」に変えた。

 給料等とは、給料のほかに期末手当などの諸手当を含むという意味だと総務課長は説明する。議員の報酬も、期末手当、費用弁償などを含むというのだが、総務課長の説明では、そこに政務活動費も入ったという。

 だが本当に政務活動費の諮問を可能にしたのか、わたしは怪しいと思っている。条例改正にともなう議事には「政務活動費の諮問も可能にする」とは明言されていないからだ。報酬等の「等」は、具体的には期末手当だけを指すと考えるのが自然ではないか。
 
 そもそも手当と政務活動費は意味がちがう。前者がもらうものであるのに対して、後者は支出した経費の負担である。くれるカネではない。残ったら返すという規定も地方自治法にある。その経費を「報酬等」の「等」に含めてしまうというのは拡大解釈だと思う。

 さらに、千代田区には、政務活動費の額などを検討する議長の諮問機関がある。政務活動費については議会の諮問機関で検討し、給与・報酬は区長の諮問機関で考えるという2本立てなのだ。

 それが区長の諮問機関でも政務活動費について意見できるようになったとなれば、大きく報酬審の役割が増えたことになる。この点、議会事務局に尋ねたところ、議会側はそうした認識をもっていなかった。

 これらの事情をみていくと、報酬審条例の改正で変わったのは、期末手当などの諸手当の検討と、あらたに特別職になった教育長についても諮問可能にしたという点であって、政務活動費は入ってない可能性が高い。

 報酬審の審議録をみると、政務活動費の経緯や、報酬、給料の法的位置づけといった基礎的な知識を欠いている委員が大半で、あきれかえる。そして諮問事項の確認もせず、条例が改正されたことだけを根拠に「政務活動費」の議論を進めている。あきらかに越権行為だろう。

 これを主導した報酬審の武藤会長(法政大教授)の見識を疑う。



 
 わたしはテレビは見ないが日本の新聞はたまに読む程度だ。

 いまの時代を理解し、適切な行動をとるための情報源としては、新聞もテレビも頼りないし、下手に鵜呑みにすると誤った判断をしかねないと思うからだ。読む際は、注意して批判的に読解する必要がある。それは簡単ではない。

 新聞は読まないが、本をよく読むようになった。辺見庸『1937』で紹介されていた『服従の心理』をいま読んでいる。

 組織や「ニッポンジン」といったムラ社会に帰属することで精神的な奴隷状態になることが、いかに恐ろしい結果を招きうるのだと考えている。

 ひとりではとても恥ずかしくてできないような行為が、たとえば●●大学体育会●●部の部員として先輩に命じられれば平気でやってしまう心理と同じかもしれない。

 ボスへの無条件の服従、そこに「正義」というものがとりつけばより始末に負えなくなるのかもしれない。

 キリスト教徒が異端審問という残虐で醜悪なことをやれたのも「正義」が支えたからだろう。
 話がそれてしまったが、新聞にかわって私が日々のニュースを追う情報源のひとつとしているのが、
 植草一秀氏のメルマガだ。ホームページでも一部公開している。

 最新の記事で、いまの日本社会をゆがめている基本的な問題をあらためて確認することができた。
 新聞テレビをいくらながめていてもわからなかっただろう。どこかの隅に書かれているかもしれない。
あるいはどっかでしゃべったのかもしれない。しかし、毎日眺めている普通の読者たちが理解しなければ伝えていないに等しい。

 一部引用する。
 
===
 
 日本の主権者は日本の税収構造がどのような劇的変化を示しているのかを知ら
ない。

 大資本と超富裕層が優遇され、一般庶民は、シロアリ軍団に食い尽くされよう
としている。

 私たちは、本当に悲惨な国に住んでいる。

 主権者が怒り、行動し、この国の政治を変えないと、国民の暮らしはますます
悲惨なものになってゆくだろう。

 日本の税収構造は過去25年間に劇的な変化を示した。

 25年ほど前、日本の税収構造は次のものだった。

 所得税が27兆円(91年度)

 法人税が19兆円(89年度)

 消費税が3兆円(89年度)

 これが、2015年度、

 所得税16兆円

 法人税11兆円

 消費税17兆円

 になった。

 所得税、法人税が激減して、消費税だけが突出して拡大しているのだ。

 そして、ついに、2015年度、消費税は最大の税目になったのである。

===

 法人税を大幅に下げて大企業を優遇し、所得税カットで高額所得者を優遇する。そのつけを消費税にまわす。
 はっきり言えば、大企業と一部の人間に税金を横流ししているということだろう。

 新聞テレビがこうしたことの本質をはっきり報じないのは、労働者としての記者のなかには気づいている者がいたとしても、企業としてみれば「税金を盗む側」にいる、あるいは税金泥棒のおこぼれをもらう立場にいるからだろう。

 2013年に強行採決された違憲立法「秘密保護法」をはじめ、日本が「表現の自由」を失いつつあると懸念する声が国外でもあがっています。12月1日から8日まで、表現の自由に関する国連特別報告者のデビット=ケイ氏(David Kaye )が来日し、日本のメディアの状況を調査する予定でした。

 ところがこの来日を、岸田外務大臣がドタキャンした(土壇場でキャンセル)したというのです。

 ニューヨークタイムスのマーチン=ファクラー氏が18日のツイッターで報告しています。

https://twitter.com/facklernyt/status/667172183374848000?ref_src=twsrc^tfw

 ケイ氏も「残念だ」と失望をあらわにしています。
https://twitter.com/davidakaye/status/666995224372121600
https://freedex.org/2015/11/17/cancellation-of-official-visit-to-japan/

 都合の悪いことは隠すという安倍政権の正体むき出しです。それでも安倍政権を支える人が少なからずいるというのはどう理解したらよいのか。自由を欲しない状態、精神的な奴隷状態に日本社会はあるのかもしれません。