初投稿キョロキョロアメブロ登録して、ここまでが長かったなぁ。登録したのが6月19日だったからぎりぎり1ヶ月過ぎなかった。その事には拍手かな。ずっと書きたいと思ってはいたけど、書こうと思うとなかなか、、。気が付いたらもう7月も半ばで、びっくりしちゃった。それにしても、アメブロの絵文字可愛いなぁ。えーん携帯のより可愛いおねがい無駄に使っちゃうし気分が上がるから愛用しちゃおう~ラブラブ前置きはこれくらいにして。

 

私は保育士をしてきました。高校の時に「なる!」って決めて、3年の頃くらいだったかな~同じ夢を持つ友達とピアノ教室にも通ってその時にできることをがむしゃらに頑張っていたなぁ。短大に進学してからはとにかく時間の流れが早くて、人よりも遅れない様に必死だった。1年の頃はバイトしながらの勉強と実習をこなして、、だけど2年になると忙しさが増してきてバイトを断念。就活も出てくるし、と思って途中でバイトを辞めた。冬が来る前には無事に内定をもらえて、本当に嬉しかったこと。今でも思い出せる。

 

好きだった保育士の仕事は何度も挫けながら何度も這い上がって、「続けたい」と「辞めたい」の葛藤を繰り返してきた。

10年経った。ここで、今までのクラス担任を振り返ってみようかな。

1年目 2歳 

2年目 2歳

3年目 3歳 年少

4年目 3歳 

5年目 1歳

6年目 5歳 年長

7年目 5歳

8年目 5歳

9年目 3歳

10年目 3歳

4歳年中と1歳赤ちゃんの経験がない。これが私の保育士生活です。

本当に色んなことがありました。

この10年で保護者のカラーも凄く変わっていきました。クレーム問題も、年々深刻化していきました。遂には「モンスターペアレント」なんていう言葉も出てきてしまいました。8年目の時に初めて「モンスターペアレント」だなって思った保護者のクレームに出会いました。

理不尽なことを言います。自分の機嫌で、平気で文句を言ってきます。仕事だから、、と沢山我慢をしました。笑顔で交わしていました。保育園生活最後になる「年長クラス」、、分かっていたことでしたが。クレームで多かったのは運動会や発表会の役決め、配置場所についてでした。6、7年目で担当したクラスは本当にいい保護者の方ばかりで、文句のようなことを言われたことはほとんどなくて、だからこの年の保護者には驚いてしまいました。

とても、とてもきつく、辛い思いをしました。

まだ話は続くのですが、一気に話してしまうと過去の気持ちに押しつぶされそうになる。

本音です。

潜在保育士になんてなりたくなかったです。

テレビで「潜在保育士」のことについて話題がでたりしますが、どうして潜在保育士になってしまったのか。もちろん、テレビが言う様に労働における給料の待遇問題も深刻です。結婚して家庭を持てば体力的に両立も大変だと言われています。(私は未婚ですが結婚して正職で仕事を続ける自信はありません)持ち帰りの書類は本当に大変なんです。

でも保育士から転職する人は、私の様に保護者から受けた

クレームによる心の傷が拭えないことも要因としてあるんです。

クレームを受けて分かったことです。言われて仕方のないことだってあります。だけど年々そうではなくなっている。言う側は言ってスッキリするんでしょうね。言った翌日はケロッと涼しい顔をして、、。言われた側の気持ちなんてこれっぽっちも思ってないんですから。そういうクレームに悩まされた、そして悩まされている保育士さんは凄く多いです。

心の傷?はぁ?って思いますか?

でも、どうしても拭えないこともあるんです。言葉って怖いです。

私は今、その言葉がトラウマになってしまっています。

退職をしたのに、その時のことを夢に見たり。同じ市内に住んでいることに凄い恐怖をおぼえてしまったり、、。その様なことが要因で「潜在」し、現場復帰をしたくても踏み出せないでいる人も沢山いること、知って頂きたいです。

 

私のこの気持ち、誰かに届きますか。