最近、賢い人と出会っていない。

僕にとって賢さとは、簡単に言えば、
相手を思いやる気持ちがあるか否かだ。

だから、小学生でも賢い人はいるし、
年寄りでも賢くない人がいる。

自分のことより相手のことをまず思うこと、
それが賢さの定義であるなら当然そうなる。

自分さえよければいい、自分さえ儲ければいい、
こういう考え、またはこういう行動を
賢明だと思わない人もいるだろうから、
存外おかしな定義ではない気がする。

逆に陳腐ですらある。

でも、これなら、誰だって賢くなれる。

因数分解ができなくても、
量子力学が理解できなくても。

そう、漢字を知らなくても構わない。
知識なんてどうでもいい。

そう思いたい。


まな板三寸 どぜうの旨煮-色、即ち、是、空なり