そうそう。

この間、母娘関係の話をちらっとしたのだけれど、

 

私が母と距離感を保てるようになった

最後の決め手は

 

こんなわからず屋のクソババアな母親を

心の底から愛してもいい

 

という自分への許しでした。

 

見返りがないのに愛情をそそぐ

むくわれないのに尽くす

そんなアホな私でいい。

みじめな私でいい。

 

存在価値の話ではないよ。

 

わかってくれない(結果が出ない)

のに

わかってもらいたくて訴え続ける(行動パターンを変えない)

 

アホな目にあいたくない。

みじめな私でいたくない。

変えたい。

 

そう思っていたのを、それでもいいって許した。

 

それまでは

 

わかってもらいたい(結果を出そうとして)

から

手を変え品を変え接してきた(行動パターンを変えてみた)

 

ってのをやってたからね。

 

母との関係がどうであれ

母の理想の娘であるか否かなんて

 

ほんっと、私という存在の価値には無関係。

 

だって知ったから。

 

誰に何を言われても

誰とどんな関係を築こうと

 

私という存在の価値は揺らがない。

 

だから逆に、

 

私という娘の愛情を

理解できない母親はかわいそうだな~

と思ってもw

母自身の存在価値とは無関係。

 

私だって

母の愛情表現を、愛情だと感じにくい人間だから。

お互い様だねw

 

旦那になる人とは

コミュニケーションをとることで

ズレてる(。・ω・)(・ω・。)ネー

って言い合える表現力を求めて結婚したけれど

 

母は選べんし

娘も選べんし

 

与えられた関係の中で

 

さくっと

今すぐ

簡単に

 

幸せになると決めたら

 

こんなわからず屋のクソババアな母親を

心の底から愛している自分を許せたのよ。

 

うちの母親

まじでクソババアだぜ。

 

大好きだけどなwww

 

ウヒャヒャヒャヒャ。