この季節。


着る服が無い…とクローゼットを開けたり締めたりしていたな。



服はたくさんそこにあるのにね。



もっと着れる服を買いたいと思ったものです。




今は、サッと決まる。



今日から埼玉で

【断捨離レッスン】が始まります。

目的が同じチームで顧問契約。

結果にコミット!!



身が引き締まります。




しかし、やる事は日常の目の前の事。



こんなことから出来る断捨離だから嬉しいね。










【タンスに詰まった「着ない服」の意味】

FROM やましたひでこ

以前の記事に書いたように、夫との結婚
は私に居場所をもたらしたけれど
「こんなはずじゃなかった!」という
戸惑いも同時に味わうことになりました。

それで、ストレスを抱えていたのは確か。

その発散というわけではないけれど
大学時代に出逢ったヨガの指導員として
地域の婦人会などで教えることで
自分の中のバランスを保っていました。

そして、このヨガと出会って間もない
22歳の頃、「断行、捨行、離行」という
仏教の行法哲学についても知ったのです。

これは、執着を断ち、捨て、離れる
という行法哲学。

ただし、それを日常で実践するなんて
当時は無理だと思ったし、
その具体的な方法がわからずにいました。

「人間、執着だらけなのに、何を言うん
ですか」みたいな感じで、とても大事な
ことを聞いたような気がするけど、
聞かなかったことにしようって思いました。

ところが、10年後、
ふとヨガの先輩の先生に
「断行、捨行、離行なんて言ったって、
執着だらけで無理ですよね」と尋ねたら、
その方がこう言ったのです。

「そう、無理だよね。
だって、家のタンスの中だって、
着ない服でパツンパツンだもの」

確かにそうですよね。

特に女性は、服をたくさん持っていても
「着る服がない」と言う。

でも、実際には「ある」。

その「ある」というのは、「着る服がない」
じゃなくて、正確に言うと
「着たい服はない」=「着たくない服は
たくさんある」ってこと。

じゃあ、なぜ「着たくない服」という
もう自分と関係が終わっている服を
大事にタンスにしまっているのか。

自分のこととして考えてみて
気づいたのです。

「高かったから」
「いつかまた着るかもしれないから」

それって、執着ですよね。

かつて高価で商品価値があったものへの
執着、そして、そのうちまた着るかも
しれないという未来の使用頻度への執着。

過去と未来への執着でしかなく、
今ここにある意味はゼロ。

ゼロでもあるにもかかわらず、とってある。

つまり、私の執着心がこのタンスの中に
証拠品となって、ギチギチに詰まってる
んだって、瞬時に気がついたんです。

そして、その目に見えない心の執着の
結果が、この堆積。

この発見をきっかけに、今自分が
閉塞感を感じているさまざまな現象は
「絶対にどうにかすることができる」と
直感したのが、断捨離のスタートです。

32歳のときでした。

∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞
 日々断捨離で、日々ごきげんに♪
∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞・∞









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