紙のゴミをゴミ袋いっぱい捨てました。

ビリビリに破いてね。

 

過去の情報となったモノ。

 

気づくとだいぶ旬を過ぎている。

 

 

 

やましたひでこ公認

断捨離トップトレーナー南前ひとみです。

 

 

あるのに無い。

無いのにある。

 

 

日々、断捨離について考える事が日課となっている

私の日常。

 

頭を整理したいときは、決まって

書類の断捨離。

 

 

 

こんなメルマガの記事が出てきた。

 

 


◇◇◇2015年やましたひでこメルマガより

断捨離の思想的ベースのひとつ、老子四十八章

為学日益、為道日損
損之又損、以至於無為
無為而無不為

学を為せば日に益し、道を為せば日に損す
之を損し又損し、以て無為に至る
無為にして為さざる無し

もとより、
私が老子の研究家であるはずもなく、
この老子の四十八章に、
いったいいつどこで出逢ったのか、
まったく記憶も定かでないお粗末さ。

けれど、何故だか、こんなふうに
訳してあったことを今でも覚えている。

「知識を得たいのなら、毎日増やしていきなさい。」
「知恵を得たいのなら、毎日減らしていきなさい。」


そうか、知識とは増やしていくもの。
けれど、知恵とは、知識を手放してこそ、
得られるものなのか。

それが、当時の私なりの理解だったのだけれど、
では、「知識を手放す」とは、
どういうこと?なんて、次の疑問が湧いてきて。 

つまり、知識で頭をいっぱいにしても頭が詰まるだけ。
得た知識をいかに行動に落とし込んでいくか。
行動とは、頭の中の知識を外に出して減らしていくこと。


言い換えるならば、
知識は「行動という触媒」によって
化学変化をおこし知恵となっていく。


そして、知恵とは、知識とは違って覚えておく、
つまり、溜め込んで抱えておく必要はなく、
ひとたび、知恵となってしまえば、
必要な時に必要なだけ自在に湧き出てくるものだから。


でもって、私が辿り着いた自由訳は、これ。

「為学日益、為道日損」=「知行合一」
知ったことと行うことを一致させなさい。


そうですね、私、
「老子さまの仰るとおりでございます、
はい、申し訳もございません」、
なんて、気持ちにさせられたものです。


だって、私たちは、片づけの知識・情報なんて、
すでに、山のように持っているわけで。
整理術も収納術も巷に溢れるばかりにあって。
でもね、相変わらず、片づけられない
という悩みを抱えた人はいっぱい。


そうですね、知識を得るのは簡単、
でも、その知識をしまいっぱなしにして
忘れてしまい、だから、日常の生活で
使いこなすことをしないでいる私たち。

もしかして、私たちは、
知識を得たことに安心してしまう癖が
あるのかもしれません。


そう、思うと、頭の中の知識も、
引き出しの中のガラクタと化したモノたちも同じ。

それを手にした嬉しさだけで満足してしまい、
どこかに突っ込んだままにして、
やがて持っていることも忘れ、
使うこともせず、おまけに、
また、同じモノを買ってきたりしてと。

どうでしょう?       ◇◇◇

 



 

 

あるのに無い。

無いのにある。

 

情報も、無いなら

有るモノや有る事が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

「挫折と挑戦」

関わってくださった方の自分革命、応援しています。

 

 

 

3月スタート募集開始しました。

 

今年最後のスペシャル。

 

1月4日最終回のみとなりました。

 

2021年の運は自分で決めて進もう。

 

 

 

 

 

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