キョーコは重たい非常階段の扉を開いて中に入った。
さっきよりもまた一段と温かい高層階特有の乾燥した空気が冷えた体を温めてくれる。


靴音をたてないように静かに歩きはじめると廊下の窓から月とネオンが綺麗にみえた。
その美しい夜景に足をとめず、社長室の扉の前で立ち止まると息をひそめて中の様子をうかがった。
電気もつけずに室内を歩き回る音が微かに聞こえ、背筋には嫌な汗が流れ落ちるような感覚があった。
やけに響く鼓動の音が集中力を妨げる。


部屋の中の様子に耳を澄ませると冷蔵庫の開く音がしてキョーコは驚いた。


・・・・え?
もしかして・・敦賀さん・・なの?


大きなため息が聞こえてくる。
「頭痛薬を飲んだ後に酒を飲んだのがいけなかったんだろうな・・」


耳に届く蓮の声が社長として気を張っているときの声と雰囲気が違っていた。
疲れた声でもいつもと違う機械的な声ではなく、感情を含んだ声にキョーコはドキッとした。


部屋の中にいる人物が蓮だとわかり、今までの緊張がすべてとけるとその場に座り込みたいほどの疲れが押し寄せてくる。
キョーコは廊下に寄りかかり小さなため息をつくと再び今日の出来事を思い返していた。


船上で見た敦賀さんの横顔・・・・
計算されたような美しい笑顔・・


その笑顔ではなく心から笑った蓮の顔を見てみたいと一瞬頭の中で思いながらも、キョーコはすぐにその考えを打ち消した。


しばらく考え事をしてそろそろ駐車場に戻ろうと歩きはじめると ドサッと人が倒れ込む音が聞こえ、キョーコは驚いて扉の中から中を覗いた。
理由を訊かれるのを覚悟で部屋へ入ると、ソファーに横たわる蓮を見つけ安堵のため息をついた


・・クス・・本当に疲れているんだわ・・


蓮のひどく疲れた横顔を見てキョーコはその美しさに見とれた。
都会のネオンと月明かりに蓮の横顔が照らし出される。


つくられたいつもの表情でなく疲れ果てた蓮の表情は人間味があって魅力的だった。


・・表情をつくらない方が魅力的なんて・・・・


キョーコは部屋の中をキョロキョロと見渡すと目当ての物を見つけて、ニッコリと笑う。フワフワの真っ白なブランケットを手にすると蓮の元へ向かいふんわりとその上にかけた。



・・お疲れ様です・・つるがさん・・


心の中でキョーコがつぶやくと蓮が微かに微笑んだように見えた。

その表情に心臓が早鐘のようになり始めたのをキョーコは心の奥にしまいこんだ。