ども。午後がまるまる暇だったので、どうでもいいことを思考し続けたらモヤモヤしちゃったのでここで出力したいと思います。
今までの記事とは違って、人が読むことはあまり考えておらず、自分の考えを文章化するだけなのでおそらく今まで以上に読みにくい文章になると思います。
それでもよければどうぞ↓
よくドラマなどで『子供はみんな、ダイヤの原石』なんてセリフをよく聞きます。俺がこのセリフを聞いたときは『すべての子供は輝く可能性を秘めている』という意味でとらえてました。
もちろん、そのまんまの意味ですが、よくよく考えると深い意味なんじゃないかと思います。
まず、子供以外の人も何かにたとえてみましょう。子供がダイヤの原石ならその親はどうでしょう?ここは単純に原石の持ち主、つまりは原石の採掘者としましょう。ご存じのように、ダイヤの原石にダイヤほどの価値はありません。職人の手によって磨かれたり、カットされたり、研磨されたりしてダイヤとしての価値がでてくるわけです。ちなみにここでの職人とは、その子供を教育する人、つまりは学校の先生とかですね。
採掘者はダイヤを加工する技術を持ってないわけですから、自分の大切な原石を泣く泣く職人に預けるわけです。職人は職人でプロ意識があるわけですから、世界一すばらしいダイヤを作り上げたい、という思いがあります。
職人としてはより素晴らしいダイヤを作るために、原石を力強く磨き、大胆なカットをし、入念に研磨したいと思っています。しかし、それでは採掘者が黙ってはいません。
「力強く磨けば原石に傷がつくかもしれない」「大胆にカットしたらダイヤが小さくなってしまう」「入念に研磨なんかしたらひび割れる」と、職人に文句をつけます。
職人側としては無視したいところですが、なにせ客商売ですからお客の要望は聞かなければいけません。
そこで職人は、そっと原石を磨き、少しだけのカットを施し、研磨もほんのわずか...。そんな加工では素晴らしいダイヤなど生まれるわけもない。できるダイヤはそこいらの有象無象に同じ。
そこでまた採掘者は言うわけです「この職人は無能だ」と。
あたりまえですが、専門職の人間に門外漢が口出しして事態が好転することはほっとんどありません。数少ない事例もありますが、それは職人がよっぽどの体たらく・無能の場合か、採掘者が異常に有能なときのみです。
子供を立派にしたいと思う反面で子供がとても心配、という親心を理解できないわけではありません。それでも子供を先生に一任した以上、口出しするのはおかしいと思います。
口出しをするくらいなら、子供を任せる前にその先生を自分の目で見極めるべきです。その努力もしないで、何でもかんでも学校や教師のせいにするのはお門違いです。
...論点がずれました。つまり俺が言いたいのは『子供はみんな、ダイヤの原石』この言葉の意味は、「原石なんだから丁寧に扱えよ」ということではなく「輝く資質を持っているのだから上手に輝かせろよ」という意味なんじゃないかと思います。一部の親(いわゆるモンペ)は前者の意味で認識しているのではないでしょうか?どんなに美しく輝く資質があっても、上手に磨かなければただの石ころですよ?