再投稿shokopon2024/6/15・1回目投稿

 

 

「仲良く、くっついていてはいけない」という

そんな単純な意味ではない

(これはよいと思うから)

 

 

子どもは

別人格を持った、自分とは別の人間

 

 

子どもが、「生まれてくる前に自分で決め

そして持って生まれたこの世での生き方」

 

・・みたいなものがあると思うし

 

わが子であろうと、そこに踏み込むべきでは

ないと思う。大人や親として、導いたりすることは

必要だと思うが

子どもの人生に「介入」してはいけない

 

 

 

そのよくない例は、私の元義母

元夫と元義母は、大人になっても「一心同体」

 

元夫は「母親の人生」を生きているかの

ような人でした。母親がそうしてきたから

 

 

元義母は、私たちが婚約中には、私の母に

「この子たちが結婚しても

私たち親がしっかりしないと!と詰め寄った人

 

 

 

あの一家は「親・至上主義」で

それこそ「親子の素晴らしいかたち」だと思っている

 

元義母世代の人って、今の時代よりも

「親を敬う」という感覚が強く

 

(「敬う」というより「敬え」かな…)

 

しかし、あの一家においては

これがひとりよがりな感じに

行き過ぎてしまったケースだと思う

 

 

 

 

就職の面接で、「尊敬する人は?」と聞かれ

「両親です」「母です」などと答える人の採用を

考えてしまう企業もあるようだ

(採用しないかも、ということ)

 

 

自分の家族という、狭い世界気づきしか知らない人

にも思えてしまうからだろうか

 

元義母と元夫を見てきた私は

そういう企業の気持ちがすごくわかる。。

 

 

 

元夫も、最近書いた、わが子といつまでも

「一心同体」?の友人の子も

 

 

就職試験で

「尊敬する人は両親です」と言いそうに思えてしまう

 

 

親を尊敬するのは悪いことではない指差し

 

けれど、社会へ出ていく一歩をもう踏み出している

「就職試験の場」でそれを言ってしまうことの

野暮ったさ

 

そう。親子という尊い関係が

「どこか野暮ったく」も感じられてしまうのだ

 

 

(それに、親を尊敬している人=すばらしい

人間なのか??という疑問にもなってしまう)

 

 

私が面接官だったら、両親のどういうところを

尊敬しているのか尋ね、ナイスと思う返答でも

返ってきたならば、その人の内定も考えるかも

 

(以上、就職の面接で「尊敬している人は親です」

と答えることについて、あくまで私の個人的意見です)

 

 

 

口にすると野暮ったくなってしまう言葉は

世の中にいろいろあるが

元家族も、友人も、、やはりそういう言葉を

口に出すタイプ

 

 

友人

「保育士の仕事、頑張ってます!」

(と年賀状に書いてくる)

 

私は「先生頑張ってますキラキラ」なんて

1度も言ったことがない

 

こっぱずかしいし、、そりゃ頑張ってはいても

「自分、頑張ってます」なんて、まず言おうと思えない

 

 

そう思われたいの?なんて印象をもつ人も

いると思うし、、友人なら、同業なら

…書かなくても思ってるのに

 

 

元義母…

「家族というのはどんなに素晴らしいかキラキラ」とか

「この子は宝なんです!!キラキラ」とか

他にもいろいろあったなぁ

 

こういう言葉は、さらけだすと感動もなくなる

(「秘すれば花」みたいなこと)