再投稿shokopon2023/11/23・1回目投稿

 

 

以前こんな言葉を読んだ

児童精神科医の言葉

 

 

『親として一番たいせつなのは

子どもに、自分の幸せな後ろ姿を

見せることです』

 

 

親の経験ないまでも、私も共感

小さな幸せでも可、と思うクローバー

 

 

 

私の母が、時に他人の息子や

家族をうらやんだり

 

「自分にあるもの」に感謝せず

くさくさしているので指差し

 

 

そんな母が私には

「不幸な人」にも映る時があって…

 

 

正直、私の気分が悪くもなるからびっくりマークもやもや

 

時にこちらまで

不幸に引き込まれそうにもなる

 

 

有るものに気づけない「不幸な人」に

感じてしまうこともあり

私の精神衛生上、よくない

 

 

 

話は戻り

「親の幸せな姿を見せること」

この言葉を思い出させた光景が先日

 

 

フードコートで、若い父親が

双子ちゃん(3歳なりたてくらい)に

ごはんを食べさせながら、自分も食べながら

 

さらにベビーカーの乳児の世話もしていた

 

 

 

小さなショッピングセンター

奥さんはどこかの売り場で買い物?

20分ほど過ぎても、パパと娘3人のみ

 

 

その父親が双子にかける言葉は

保育士の私からみるとですが、、

 

ごはんを食べさせようとする言葉や

𠮟り方など、ちょっとつっこみどころ気づき

ありましたが驚き

 

ベビーに向き合うと赤ちゃん

たちますごく優しい顔であやしていた

 

 

 

観察していると

 

「乳児をあやしているパパ」を

双子は2人ともすごく見ているんです

 

ベビーではなく「パパ」を見ていた

 

 

幸せそうなパパを見て、双子きょうだいに

「邪悪な心」が湧くはずはありません・・・

 

何度見たとしても…

ということは、日々、何度も見ているはずの

この双子への、好ましい影響を思う

 

 

小さな、幸せな光景とは

このことだなと思いました

 

子どもにかける言葉が

多少、、不器用でも・・・にっこり

 

 

もちろん「ちっぽけな」幸せという

意味ではありません

 

一見、大きなもの、素晴らしそうなものを

足すことばかりではなく

小さなことを、子育てにプラスしていくことの

大切さを思います

 

 

でも、、よほど嫌な親は嫌ですが

「存在」しているだけでいいかな。。

親もいろんな感情もつこともある