再投稿shokopon2023/2/27・1回目投稿

 

 

 

 

「ご褒美形式」のしつけのデメリットについては

私の考えを、①にも書きましたが

 

モンテッソーリ教育の中でも、それについての

考え方があります

 

 

『子ども自身がもっている興味や好奇心などを

見極めるのが非常に難しくなるからです』気づき

 

『「褒美」と「罰」は同等であるだけでなく

子どもにとって本来は必要のないもの』

 

 

私は、先生経験の中で「ご褒美形式」のしつけは

園では「まず、無かった」

「まず先生の誰もが発想さえしない」…だったので

 

身内の子どもと接するにあたっても

思い浮かばなかったし、私自身も無意識にも

避けていたと今、感じます

 

 

ご褒美形式のしつけを、先生の誰かが提案したら

「それは…」という雰囲気になっていたとさえ思います

 

(モンテッソーリ園ではありません)

 

(それに「モンテッソーリ教育」というのは

何かそれはすごく特別な、難しい教育?という

わけではないと思います

ただ普通に、大事なことや良いことを伝えて

くれている教育と思います)

 

 

話は戻り

例えば、園でトイトレを「ご褒美にシール形式」に

したと考えても……よいとは思えない事態も発生

しそうです。想像できますか?

 

 

他の子ができた姿を見て、「私も」と

競争心のような気持ちが発生するのは良いと思うのです二重丸

 

しかし、他の子の「シールの多さ」などを見ての

競争心が発生するのは、どこか「競争心の発生のもと」

としては、ちがうと思うのです

 

この部分が

①子どもの純粋な意志から生じている

「トイトレをしよう」なのか

 

シールに刺激されているだけの気持ちから

生じている部分が大きいのか

 

…と

その【好奇心】の見極めは難しくなっている状態

 

 

お子さんのその「ぼく、〇〇したい!する!」は

純粋に育まれた、その本当の本心からの

「したい!する!」ですか?

 

ご褒美を介したしつけは

これができなくなってしまうおそれも考えられます

後々にわたり【純粋な好奇心を失う】おそれもあるのです

 

(親に言われたから「したい」と言うとか

ほんとはしたくないのに「する」と言うとか

他人の心を変に意識し、そう発言することも含む

 

・・しっかりした「自分軸」の部分が

不足してしまうということ)

 

 

そして②の、、興味を引く「物」があるから行動する

という思考の循環を、この先も、その子どもの思考に

作ってしまわないか・・!!

 

「目的はそこ(シール、物をもらう)じゃないよ」

という話は、トイトレをするような年齢の子どもには

理解が難しいです

 

 

また、もし

「シールもらえるから頑張ろう!」という

言葉がけをする大人がいたなら。。。

 

私なんぞは、もやもやもや~~となってしまいますひらめき

目標は、それじゃないですよね…

 

 

集団生活で、このような事態になってしまうことも

考えられるのなら、、ならば、家庭で1人や2人相手に

シール形式を行うのなら、同じことは起こらないの

ではと、そういった問題ではなく、、

 

 

SNSには、ご褒美形式のしつけの情報も溢れていますが

保育・幼児教育現場では、行っていなかったりするのも

実際のことで

 

家庭とはいえ

私自身も、リンク先の記事と同様に

 

子どものしつけに「ご褒美は必要ない」と

ずっと思ってきました指差し

 

プレゼント、とは違いますよ、、

 

ご褒美でなく、子を褒めたいときは

「ふさわしい言葉がけ」でよいと思ってきました…照れ

 

 

恋人同士でもです

「ご褒美」という物があったら、なんかイヤです

あげるのは、もらうのも

いつも「プレゼント」と思いたいです…

 

子どもと接する時でも

「はたしてご褒美ってなんぞや?」とさえ

思ってしまいます

 

 

①にも書きましたが、しつけを教える対象は

「子どもであるから」ではなく「人として」という

意識で考えたいです

 

こんな英語もあったかと思いますが、、

「チャイルド」ではなく「リトルピープル」という

感覚で子どもを考えること

 

 

「子ども子ども」と考えすぎると、珍しい話ですが

だから「赤ちゃんは青いおしっこが出ないんですか?」

と言う人まで出てくる。それCM笑い泣き

 

 

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