今日、トイレでなんとなしにスマホを見ていたら、『さようなら』の語源を解説している記事が目について。

 

個人的には、さようなら、は元々あるワンワードでさ、それに語源があるとは思わなかったね。

 

結論から言うと、『左様ならば』の『ば』が省略された言葉なんだって。

 

へーぇ!って思ったね。

 

確かにさ、言われみたら時代劇とかで耳にする『さらば』は、『さようならば』の『ような』が省略された言葉なのかもしれないね。

 

 

 

僕はご存知の通り、九州は佐賀県、その中でも(クソ)田舎の出身なんだけど、僕らの町では、さようならの事は『そいぎ』って言うんだよね、方言で。

 

これの派生形で『そいぎねー』とか『そいぎんた』とか。

 

意味は『そしたら』とか『それでは』って意味でさ、こういう別れの時に使う言葉としてだけでなく、文中でももちろん使う言葉です。

 

今日、山に行ったさね。そいぎさ、(今日山に行ったんだよね。そしたらさ、)みたいな感じでね。

 

 

 

遡ること20年以上前。

 

当時付き合っていた彼女さんとテキストのやりとりをするとき、僕は方言のくせが抜けず(そして、今も抜けてないのだが)文末はいつも、『そしたらね』で終わっていました。

 

方言の『そいぎね』の標準語verでね。

 

僕的には全く違和感はなかったのだけれど、彼女さんからはめちゃくちゃ違和感がある、なんならムカつく!とよく言われていました。(笑)

 

要するに、『そしたらね』と書かれたら、その後に何か言いたいことがあるので、そのあとまたメッセージが来るのかな?と思ってしまうんだと。

 

『そしたら、なによ?!』とよく言われてたね、懐かしい。。。(笑)

 

当時は、確かに自分でも会話の最後になぜ『そしたらね』を使うのか、全く上手く説明できずに、言えて『僕らの地元だと、『そいぎね』っていうのが別れの言葉だから、一応その標準語verなんだけど。。。』くらいで。

 

今回でその謎が全て解けたね。

 

『そいぎ』は、『左様ならば』の方言としての変化だったんだなぁ。。。

 

このことを当時知っていたら、『そもそもあなたも言う『さようなら』って、もともと『左様ならば』の略語なんだけど、『左様ならば、なによ?!』って言い返せたのに(笑)

 

 

 

僕らが高校生時代に、先生からよく言われていた。

 

僕らは田舎の高校生は、都会の高校生に比べて英語に触れる機会などが少なく受験において不利だ、って。

 

でも、僕らが普段使っている方言には多くの古語が残っていて、その感覚を普段から持っているから、僕ら田舎の高校生は都会の高校生より古文において有利だ、って。

 

受験においての不利有利は分からんが、確かに僕らが使っていた方言には多くの古語の生き残りがあるんだろうな、ってのを今回改めて思ったよね。

 

特に僕の出身の町は、佐賀の中でもかなり方言がきつい?古い?らしく、高校時代の昼休みにさ、僕らの町出身者が集められたんです。

 

そしたら、大学で古語を研究している先生がいらっしゃてて、『あなたたちの住んでるエリアで話される方言には、特に多くの古語が残っているので、今から適当になんでもいいので話してください。』って言われて。

 

当時は、ほんと、この人バカにしてるのか?って思ったね(笑)

 

 

 

 

最近、ブログを書いていなかったので、今もあなたがこのブログを読んでいるのか分からないけれど、もし読んでくれたいるとしたら、そういうことだったらしいですよ。

 

そしたらね~