昨日、本のことを書いてて思ったことを。
今、結構な人が紙の本ではなくデジタルで読んでる人もかなりいるようです。
僕の周りで本を好きな人でも結構いる肌感。
そいでデジタルの良さって何かと聞くと、やっぱねぇ、場所を取らないっていうのは結構みんな言うよねぇ。
それ、凄く分かるよなぁ。
やっぱどうしても『本』って嵩張るから、よっぽど家が広くて書庫なり、ある程度の本棚を確保できる人じゃない限り、買ったあとの本をどうする問題ってあるよなぁ。
僕が図書館で借りて読む理由は、まずは金銭的な理由が一番です、悲しいかな(泣)
特に面白いからどうか確信が持てない作品とか、自分の興味関心の範囲外だけどちょっと読んでみたいって作品をとりあえず買ってみるかとお金をガンガン投資できるほど裕福ではなく・・・
あとはその、やっぱ場所問題あるよねぇ。
僕はもう食器棚を本棚にしてるけど、こんなん家族のいない独身者だから出来る力技だということは理解しています。
今後デジタルの比率ってもっともっと増えていくのは間違いないよな。
でね、思ったんですよ。
『デジタルで本を読む』ってさ、これ、もちろん意味は通じるとは思うけど、これってさ、日本語的にはどうなんでしょう?
『本』っていうのはウィキペディア先生曰く、
”紙・木・竹・絹布などの軟質な素材に、文字・記号・図画などを筆写、印刷し、糸・糊などで装丁・製本したもの”
ってことらしいです。
要するにさ、紙に印刷されて製本されたものが『本』なわけじゃないですか。
そしたらそもそもキンドルでもなんでもいいけど、デジタルで読む時点でその対象は『本』ではなく、正確には『作品を読む』って日本語が正しいってこと・・・になるんだろうな、と。
僕は時代的なのか、それとも生まれ育ったのがド田舎だったという地域性によるものかアレだけど、子供時代に竹馬で遊んだことがあるんです。
でも今の、特に都会の子供なんて竹馬で遊ぶ機会なんてないんじゃないかな。
そういう子供が大人になったとき、竹馬って知ってるけど、見たこともやったこともないモノになるんだろうなと思います。
今から200年後とかさ、『本』っていうのも、もしかしたら竹馬みたいな存在になっていくのかなぁ。