愛媛県は松山と宇和島の間に位置する街、伊予大洲。
 
宇和島については、僕らが学生時代、高校野球の宇和島東高校が強豪校だったのでギリギリ名前は知っていた。
 
あとは、闘牛の街として。
 
ただ、伊予大洲は流石に全く知る由もない人生。
 
大洲城が日本100名城でなかったら、恐らく行くことはないどころか名前さえも認識しないままこの人生を終えていたであろう街。
 
昼過ぎに大洲駅からママチャリを飛ばして来てみたものの大洲城。
 
しょうがないけど、ちょっとパンチは足りなかった。
 
 
この日は夜のフライトまで時間がたっぷりあるものの、特に行きたいところもなくて途方に暮れる伊予大洲。
 
時間もあるし、行って見るか・・・と大洲城で買っていた共通観覧券を使って、あまり乗り気でないまま伊予大洲の観光名所の2トップ、大洲城ともう一つの臥流山荘に向かいました。
 
因みに後日、伊予大洲に行ってみたいと言っていた建築士のAさん。
 
Aさんの目的は、もちろんこの臥龍山荘です。
 
ここも正直、全くまーーったくのノーマークで下調べ一切なしで完全に暇つぶしでした。
 
この臥龍山荘については、しこたま感動したので過去に何回かブログに書こうとしたけれど、書けば書くほどウィキペディア的になるというか、こんな内容のブログだったらもっと詳しいHPを見ればいいだろ?って内容しか書けなくて、結局これまで書けず終い。
 
興味がある人は、ここ↓に詳しく臥龍山荘について書いてあるので是非!
 
 
 
 
 
縁側がある家、いいよねぇ。
 
網戸も何もないから、蚊がめちゃくちゃ家の中に入って来て大変そうだけど・・・
 
 
僕はこの霞月(かげつ)の間が↓が一番のお気に入り。
 
この部屋、スタッフさんに最初コンセプトを聞いた時は『めちゃくちゃ嫌味ったらしい部屋だな』と思ったのは、事実です(笑)
 
農家の家をコンセプトに作った部屋らしいんだけど、なにせ作った人はビジネスで大成功を収めた大金持ちの商人、ジャパニーズわびさびが全てのディテールに炸裂している。
 
 
僕が行った時は他にお客さんがおらず、スタッフさん自らが説明してくださってめちゃくちゃタメになりました。
 
この部屋は俯瞰で眺めるだけでも十分にいわゆる『わびさび』を『感じる』ことができるのだけど、機会があったら是非スタッフの方にこの部屋に施されているデザインを説明してもらうのオススメします。
 
そうすることでその『わびさび』感がどこから来てるのかが頭でも理解できると思う。
 
 
でないと、僕みたいな人はこういう小さなディテールは見逃してしまうと思うな。


 
この廊下↓。
 
 
この廊下、僕は一番嫌味っぽいと最初思ってしまった。(笑)
 
めちゃくちゃ立派な松の一枚板に敢えて溝を掘り、普通の家にもあるような安い板を合わせて作った廊下のように見せてあります。
 
あとは、わざと壁が剥がれてるようにみせてたり・・・流石にこれはちょっとやり過ぎじゃないかな(笑)

 
そして、クライマックスは臥龍山荘の由来にもなっている、周りから見ると龍が臥せているように見えるという、崖の上に建てられている不老庵。
 
 
 
 
詳しい説明はさっきのリンクで見てみてください。
 
不老庵からの眺め。
 
 
この写真を撮った時には知る由もなかったのだけど、伊予大洲の観光を終え駅の隣の観光案内所でレンタサイクルを返す際におじちゃんと話していたら、手前にかかっている低い橋が沈下橋(洪水などで水量が増えた時には水面に潜る橋)だと教えてもらい大興奮!
 
ちょうどこの旅の前に読んでいたのが上橋菜穂子さんの『鹿の王〜水底の橋〜』という本で、まさにタイトルの水底の橋というのは作中に出る沈下橋からきているものだったので。
 
沈下橋、四万十川もあることからか四国に多いみたいです。
 
この臥龍山荘が良かったのは岩村と同じく、人が他にいなかったのも大きかったかも。
 
ほとんどの日本人には知られてないかもだけど、ミシュランのガイドブックには取り上げられていて普段は海外からの観光客が多いみたいです。
 
こんな場所といったら伊予大洲に申し訳ないけれど、観光客が公共機関でくるにはめちゃくちゃ不便なこんな街に外国から観光客が多く来るってのがびっくり!
 
この時はコロナもあり海外からの観光客が来日できない時期だったからね。
 
僕はここに来て思いましたよ、やっぱり自分は日本人なんだなぁ・・・って、なんでそう思ったかよく分からないけど。
 
そして、日本人で良かったなぁ・・・とさえ思った。
 
今年は全然旅行できてないけど、多分この臥龍山荘が2020年の旅行では一番印象深い場所になるだろうな。
 
 
臥龍山荘公式HP