渋谷から井の頭線で帰る自由を行使した僕は、下北沢で下車。

 

これ以上先に行ってしまうと、タクシーを使って帰る自由も行使しないといけなくなってしまうから。

 

南口の改札から若者がたむろする広場を抜け、茶沢通りへ向け商店街を歩き出そうとした時にふと目に飛び込んできた。


 

『太郎ビル』というらしい。

 

これまでも既にあったのか、それとも僕の中で個人的に『タロちゃん』がブームになっている今だから目についたのか。

 

20年前の下北からしたら考えられないほどの路上で呼び込みをする大勢のガールズバーのお姉さんを横目にスタスタと茶沢通りに向けて歩きます。

 

そういえばあのお店、まだやっているのかな?と思う古着屋さんがあったので寄ってみることにした。

 

南口の商店街を抜け、餃子の王将を越えた路地を右に入ってすぐにあるそのお店は、今もなお同じ場所で営業を続けてらっしゃいました。

 

Ruby Tuesday


 

30代の前半、一番よく通っていた古着屋さんの一つです。

 

僕が働き出した2000年前半は今のようなブランドの中古という意味での古着ではなく、いわゆる『古着』が大人気だった。

 

ヴィンテージ・シーンも今よりも全然盛り上がっていたし、その派生でNo.44に代表されるようなユーロ古着も大ブームでした。

 

そんな中、もちろんリーバイスはそのシーンのど真ん中に鎮座していた。

 

2010年前半、女性が彼氏の洋服を借りて着たような少し大きめのシルエットが『Boy Freind Look』ルックと形容されて流行るのだけど、その前の2000年代からオシャレな女性は少し大きめの古着の501をウエストを絞って履いていて、それはそれはお洒落だった。

 

古着の501を女性が履いてるなんて、今のファッション・シーンからするとちょっと考えられないような時代です。

 

『昔はよかった』なんて言うのは年寄りの戯言だと個人的にも思うのだけど、それでも1990年代中盤から後半の日本発信のストリートカルチャー『裏原』ブーム、からの2000年前後からの『セレクトショップ』ブームが訪れインポートや古着をミックスする自由なスタイルが流行り、そして青山にLOVELESSがオープン・・・


このあたりの10年〜15年が僕が知る時代の中では、日本のファッション・シーンが世界でも注目されて、そして一番輝いていた時代のように思えます。

 

多くの海外有名メゾンのデザイナーが来日しては、日本人の着こなしからヒントを得てそれを自分のコレクションに取り入れていた。なんてインタビュー記事を多く目にしたのもこの時代でした。

 

結局、Ruby Tuesdayのことを一切書けず・・・

 

また明日にでも。