先日、アニさんとヒロキくんと長野に行った際。

 

軽井沢に向かう前にアニさんの新店舗の書類関係の手続きで佐久の合同庁舎に向かう。

 

手続きが済んでこれから軽井沢に向かうと思いきや、『近くにどっか行きたいところありませんか?』と優しいお声がけを頂き、それでは・・・と佐久にある龍岡城をリクエスト。

 

合同庁舎の駐車場でアニさんを待っている間トイレを借りに建物に入ったんだけど、受付近くに佐久の観光パンフレットが置いてあって、そのパンフレットで知りました。

 

佐久に五稜郭がある、と。

 

五稜郭と言えば北海道。

 

戊辰戦争の最終番、我らが新撰組の土方歳三さんが散った場所です。

 

そんな五稜郭が佐久にも?

 

もうひとつの五稜郭こと龍岡城は、函館の五稜郭のミニチュア版のような小さいお城でした。





 

今は小学校になっていて、運動場の端に御台所が残っているくらいで特にこれといった史跡はありませんでした。



 

一番の見所は、小学校の体育館。

 

最初見た時、錯角か?と思うほど、びっくりするくらい壁が斜めなんですけど・・・(笑)


 

これは雪対策の一環なのかね?

 

近くに『五稜郭であいの館』というのがあったので寄ってみました。

 

特に期待もしてなかったが、館内はノーゲスで所謂ひとつの出会い的なものはなし。

 

ただ、ボランティアと思われる素敵なおじいさまがいて、龍岡城の説明を色々としてくれて有意義な時間でした。

 

函館の五稜郭とこの佐久の五稜郭、どちらもフランスはリールのヴォーバン城をモデルに作られたらしく、空撮写真で見るとどちらも綺麗な五芒星の形です。



 

陰陽師の世界観ですな。

 

因みに、この龍岡城を作った龍岡藩のお殿様・松平乗謨(のりかた)さんは、徳川家ゆかりの家柄で幕末期では老中まで勤めていたばりばりの江戸幕府の要職にいた人物らしいんだけど、館内に飾ってある写真を見て『おや?』っと。

 

佐久では毎年小満祭というお祭りをやっていて、その際に戊辰戦争時に龍岡藩が出兵したときの模様が再現されているらしく当時の服装に身を包んだ人たちの行列の写真が飾ってあったのだけど、どう見ても服装が洋風で新政府軍の出で立ち。

 

『この写真の服装を見ると龍岡藩は新政府軍として戊辰戦争に参戦したみたいですけど、龍岡藩は江戸幕府派じゃなかったんですか?』

 

と、おじい様に質問すると『お若いのにお詳しい!そうなんです!!!』と嬉しそうにその経緯を説明してくださいました。

 

先生に賢そうな質問をして得意げな小学生のような気分でした(笑)

 

この龍岡城は続・日本100名城のひとつでもあるらしく、であいの館内にスタンプがあったので隣に置いてあったメモ紙に一応スタンプをもらってきました。


 

今のところ続・100名城の方まで回る気力・体力・経済力、併せて今後の余生の時間もないので回るつもりはないけれど、万が一、万が一集めだしたときの為に・・・(笑)

 

僕の予定、とまでは言わないが予感的なものによると、おそらく今集めている普通の100名城のスタンプを集めるのに、あと7-8年はかかると思っています。

 

早くても5-6年はかかるだろうな。

 

なので、100名城のスタンプを集めきったとき、その時悲しいかなまだ独身だったならば・・・潔く続・100名城の世界に足を踏み入れようかと。