容保公のお墓から下界に降りてきたら、既に四時近く。

実は今日一気に江戸まで帰ろうかとも思ってたけど、えいっ!と昨晩ホテルを取りました、宇都宮。

で、宇都宮のホテル着いて、明日の宇都宮観光の調べものをしたりする時間を考えると、この17:10会津若松駅発に乗っておきたい。



宇都宮に20:42着だと、ギリギリどっかの餃子屋さんとかもやってそうだし。

ってなると、もう1時間くらいしか猶予がありません。

もうね、若松城に続き、決断をしました。

白虎隊関係は、次回に回す。

会津に来て、若松城も見ず、白虎隊関係の史跡も見ずに帰るという、もはや暴力。

初めて渋谷に観光に来た人が、ハチ公もスクランブル交差点もセンター街も見ずに、新南口から改札でて駅前のベローチェでお茶して帰るようなもんだ。

もうね、今回は会津に宿を取れなかった時点で負け戦でした。

また来るよ、会津若松。

ちょっとだけ時間が出来た分、見逃してた蒲生氏郷さんのお墓を見に行きました。





蒲生氏郷さんは、本当に優秀な文武両道の武将だったみたいだよね。

会津に移されたのも伊達政宗さんの侵攻を防ぐためとも、あまりにも優秀な為、秀吉が将来を憂って京都から遠くに置いたとも言われています。

なるほど、この燕尾型の兜は岩手の盛岡博物館にあるのか…


是非見たいね、本物。

戦場でこんなクワガタみたいな兜かぶった奴がズコズコで攻めてきたら、焦るよな…

間違いなく只者じゃないよね。

お墓にもなんか文字が彫ってあって


横の解説によると


この時代でトップレベルに意識が高い人だったことが伺えます。

生前には洗礼まで受けてて、クリスチャン名がレオン。

現代ならまだしも戦国時代だからねぇ。

39歳の時に病死。

なんだか生きてて申し訳なくなってくる。