僕が社会人として上京してきたとき、駒澤大学駅のいづも荘というこの世の闇を全て背負ったようなアパートで生活を始めました。
上京してきてからの半年間、僕は基本的に力仕事の日雇いをしながら、とらばーゆで仕事を探して働き出してはすぐ嫌になってばっくれるという日々を繰り返していました。
ほんと、いろいろやりました。
学芸大学の英会話学校でテレアポしたり、フェラーリのラジコンとか飛び出す絵本の現物抱えて手当たり次第飛び込みで売りにいく営業とか・・・。
当時さ、母親が心配して電話してきて『その会社、大丈夫?』って聞いてきたんだけど、僕は本気で『会社の前になんか有限ってついてるから多分大丈夫だと思う!』って答えたのを覚えています。
母親は、それを聞いていろんな意味で心配になっただろうな。
因みに、まださ、飛び出す絵本とかだと良かったんです。
風俗のお店を集中的に回って、受付のお兄さんに話して運がいいときは休憩室のお姉さんに会わせてくれて、たまに『なにこれ、かわいいー♡』ってまとめ買いとかしてくれたんです。
たださ、目覚まし時計と工具のドライバーのセット売りとかさ、正気の沙汰とは思えなかったよね。
当時、21歳?22歳くらいだったけど、流石に目覚まし時計とドライバーを大量に渡されて、『セットで売ってこい!』ってのは、絶対おかしいと思ったよね。
法人営業ならまだしも、飛び込みで小売りだからね・・・。
秋葉原にいったときに、ビルの上からしらみつぶしに各会社のドアをノックしていって、『目覚まし時計とドライバーのセット売りなんですが・・・』って声をかけていったとき、とある会社の社長さんがさ、『とりあえずお前、中にはいれ!』と言われて応接室みたいなとこで、散々説教されたよね。
『お前みたいな若者がなんでそんな仕事をしてんだ!』
と。
『もっと世の中の為になるような仕事をしろ!』
と。
からのですよ、世間話になって出身地だなんだの話になったとき、まさかのその社長さんは佐賀の人で同じ高校の大先輩でした。
からのですよ、またより一層激しく説教タイム。
『お前は鹿城生としてのプライドがないのか?』
と。
もうほんと、最初は同じ高校と聞いて親近感湧いたけど、あまりにも説教が長いから最後は『頼むから帰らせてくれよ・・・ってか、目覚ましとドライバーのセット、1個くらい買ってくれよ・・・』と思ったよね。
・・・・。
宇多田ヒカルさんの『Automatic』の話を書くつもりが、なかなか宇多田さんまで届かなそうなので一旦ここで止めます。
おやすみかづきの夜。
