35歳最後の日、僕は麗江からバスに4時間強揺られ移動してきた。

チベットスタイルの民宿についてチェックインをしようとすると、受付の女性がなんともせわしない。

どうやら今日はチベット仏教を信仰する人にとって特別な日らしく、偉いお坊さんが9年振りに信者の頭を撫でてくれるイベントらしく、そのイベントに参加するべく僕が宿に着くのをいまかいまかと待っていたいらしい。

『あなたも参加したい?した方がいいわよ、すぐ行くわよ!荷物は何も持っていけないから、全て置いていって!』

と言われ、部屋にチェックインする暇もなく荷物を宿の受付に預けて、受付の女性Rさんとその友人たち、それと何も意味が分かってない僕は車に乗り込みました。

街中は警察や兵士がうじゃうじゃといて、スーパー厳戒態勢です。

10分ほどのところで車を降り、なんでもない道の端に並んでいる列の最後尾に僕らははいったのだけど、最強に人が並んでいる・・・。

コミケの初日レベルに人がうじゃうじゃ並んでいて、もはや先頭がどこなのかさえ分からないレベルのうじゃうじゃです。


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ただ、コミケと違うのは並んでいる人が、みなチベット仏教信者、チベット人です。

周りからもちろん『なんだ、ちみは?』的にジロジロ見られる・・・そりゃそうだ。

『これはちょっと凄いところにきちゃったかもしれない・・・大丈夫かな・・・』

と、かなりたぎります。

ここからが、ホント長かった・・・。

結論からいうと、4時間、4時間立ったままの並び。

途中、警察や兵士、消防、特警(SWAT)が所狭しといます。

しかも、まず身体チェックが一箇所、身体チェック+金属探知機チェックが三箇所、ライターやペットボトルは全て捨てさせられるという半端ない厳戒態勢です。

因みに、捨てるってのがホント道端に捨てる方式で、道端にはごっそりライターがいろんなところに捨てられてるというのがなんとも中国らしい。

で、偉いお坊さんは、競技場の中にいました。


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お坊さんが人がギリギリ通れる50センチくらい開けて二列になってならんでいて、その間を手を合わせて小走りに走り抜けるんだけど、そのお坊さんの列の最後尾に偉いお坊さんがいて、もはや撫でるというより、一瞬タッチするような感じでした。

で、撫でてもらったあとは、そのお坊さんの写真がラミネートされたものをもらいました。


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撫でてもらったあと、多くの信者の人たちは競技場内でその偉いお坊さんに向かって、日本ではまず見かけないお祈りの仕方で祈っていて圧巻でした。


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車の場所まで歩く途中、宿のRさんはじめ、みんな興奮していて『あなた、すごいラッキーよ、9年ぶりだからね。シャングリラに来た初日でしょ?ホント、ラッキーよ!今日はシャワーは浴びても、触ってもらったところは洗っちゃダメだからね。』と、色々な話を聞かせてくれます。

で、宿に帰ってきて、自分の部屋にやっと入って一息ついて、今日のあのお坊さんが誰だか調べたら、パンチェン・ラマ11世でした。

しかも、これはかなりディープな政治もからんだ宗教問題というか、もはや政治問題みたいです。

僕がチベットについて知っていたのは、ダライ・ラマ14世がインドに亡命していることくらいで、この時初めていろいろと調べて、かなり深い・・・。

チベットにおいて、ダライ・ラマという存在は政治・宗教のトップであり、パンチェン・ラマというのはその次に次ぐ高位の人です。

ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、太陽と月に例えられ、チベット仏教では輪廻転生が信仰されているので、ダライ・ラマが亡くなったとき生まれ変わった次のダライ・ラマを承認するのがパンチェン・ラマで、同じようにパンチェン・ラマが亡くなったときに次の生まれ変わったパンチェン・ラマを承認するのがダライ・ラマで・・・という関係性です。

昨日僕が会ったのはパンチェン・ラマ11世なんだけど、問題は先代のパンチェン・ラマ10世が亡くなったとき、インドに亡命しているダライ・ラマ14世はその生まれ変わりとして、6歳の少年をパンチェン・ラマ11世として承認し公式発表したんだけど、ダライ・ラマ14世が承認した3日後、中国政府は6歳のパンチェン・ラマ11世及びその家族を連れ去る・・・普通にいうと拉致して、その後、消息は今もって不明・・・恐らく殺されているだろうというのが世間の見方らしいです。

しかも、拉致だけではなく、まさかの勝手に他の子供を連れてきてその子をパンチェン・ラマ11世にしてしまったんです。

それが、昨日僕の頭を撫でたパンチェン・ラマ11世です。

中国はこういうところの発想が尋常じゃないというか想像の斜め上をいっている・・・。

要するに中国政府としては、パンチェン・ラマ11世の傀儡としてパンチェン・ラマを操って、ダライ・ラマ14世が亡くなったときに、自分たちに都合の良い『ダライ・ラマ15世』を連れてきて、それをパンチェン・ラマ11世に承認させようという筋書きみたいです。

なので、現行のパンチェン・ラマ11世はチベット仏教信者から人気もなく支持もされてない・・・ってネット上では散見されるんだけど、いやいやいや・・・昨日みた限り、半端なく信者さん並んでたんだけど・・・。

Rさんが帰り道話してたのが自分的には結構マトを得てて、『宿に来るゲストの人たちから毎回いつもダライ・ラマについてばかり聞かれるけど、正直見たことも会ったこともないし、よく分からない』と。

そりゃそうだ、ダライ・ラマ14世がインドに亡命したのはもう50年以上も前だからね。

どちらかというと、Rさんはダライ・ラマ14世よりもパンチェン・ラマ10世を尊敬してる感じで、確かに宿の受付に飾ってある写真もパンチェン・ラマ10世のものでした。


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因みにこのパンチェン・ラマ10世は、ダライ・ラマ14世らがインドに亡命したあともチベットに残り、チベットと中国政府の交渉に尽力を尽くした人です。

まぁ、興味がある人はいろいろ調べてみてください。

まぁね、いろんな意見は今のパンチェン・ラマ11世に対してあるだろうけど、なかなか出来ない体験でかなりたぎりました。

一つ言えるのは、チベット仏教の信者の人たちの信仰心、半端ないっ。