僕は22才のお正月真っ只中に、後に周りから『不倫バッグ』と呼ばれる実家から勝手に失敬したバレンチノのいかにも駆け落ちした二人が使っているようなバッグに着替えを数着入れて上京してきたわけだけれども、今の仕事に着くまでの半年間、まぁ仕事を転々とした。
英会話学校の先生のアシスタント…のハズが何故か終日勧誘の飛び込みの営業の電話だった。
毎日毎日どこからまわってくるのか分からない03で始まる電話番号と人の名前が羅列されているリストに朝から晩まで電話をかけ英会話学校に勧誘をする仕事だった。
その時初めて電話番号のリストが売られているコトを知ったし、固定電話より携帯電話のリストが高いコトも知った。
社会人デビュー初めての仕事だったので、初日は頑張る気でいたけれど、二日目からは新しい仕事が見つかり次第辞める気満々で出社していた。
一人仲良くなった人がいた。
同じ日に入社した男性で年は30才になったばかりだったと思う。
もうすでに結婚されていて、その英会話学校に転職してきていた。
転職祝いとして、奥さんのお父さんからスーツを新調してもらったんだ…と話していたのを覚えている。
受話器に向かう生活を一週間程続けた頃、その人とお昼休みが一緒になり外に食べに出掛けた。
僕が仕事が見つかり次第辞めるつもりだと伝えると、
『早く辞めた方がいいよ…羨ましいな…俺はお義父さんからスーツを買ってもらっているから、どんなにイヤでも辞められないよ…』
と言われた。
結局、僕は次の仕事も見つからないまま電話番号のリストと睨み合う日々を一ヶ月で辞めた。
辞めたというか世に言うバックれた。
最後の出社日、といってもその日が最後になるのを知っているのは僕と仲良かった男性のみだったけれど…、仕事終わりにその人とゴハンに行った。
何を話したかは覚えてはいないけど、色々話したような気がする。
ただ一つ鮮明に覚えているのは、お会計を済まし外に出て駅の改札で別れる時、僕がそれまで知らなかった携帯の番号を聞くと、その人は携帯をポケットから取り出したものの一瞬躊躇した後、
『やっぱやめておこう…カブトムシブルドーザーくんはここを辞めて好きな仕事につくんだろうけど、僕はそんな時に会ったら正直羨ましく思ってしまう…ゴメンね。』
正確には記憶していないけど、このようなコトを言われた。
携帯の番号を交換することを断られたコトに対して全く悪くは思わなかった。
逆に、大人って大変だな…と同情したくらいだ。
ただ一つ、別れた後に家まで歩きだして、携帯の番号を知らないのでもう会うことはないんだ…と改めて思うと凄く寂しく思った。
東京に出てきての初めての出逢いと別れは、今では名前も分からない、そんな恐らく今40代になってらっしゃるであろう、そんな人とでした。
転職祝いのお義父さんからのスーツ