世界遺産にも登録されている龍安寺
ただ、世界遺産だなんだというよりも龍安寺と言えば、石の庭。
御朱印もシンプルに『石庭』
この庭を誰が作ったのかは分からないけど、たった『石』だけで世界遺産になるまでの芸術に昇華させるのは、同じ石を愛する人間として尊敬します。
因みにこの龍安寺。
石庭以外にも有名なのが、つくばい。
朱印の左上のスタンプもそうだし、ここで買った朱印帳の表紙も、このつくばいです。
で、この龍安寺のつくばいは、こういうものなんだけど、最初なんと読むのか分からなかったんだけどね。
パンフレットを見て、なるほどと。
真ん中の銭形を各文字に足して
『吾唯足知』
ワレタダタルヲシル
直訳すると、私は満足を知っている、みたいなもんでしょうかね。
周りを見ると、それにそんなお金を使うの?と思うコトはたくさんあると思う。
べらぼうに高い家賃の家に住んだり、はぁー?というような食事をしたり。
それは周りだけじゃなく自分自身も、僕の自転車なんか普段自転車に乗らない人からすると、『えっ?』っていう感じだろうし…
しかも、二台…
人それぞれに満足のラインがあって、その満足のラインを知らない人は、どんどんどんどん限りない満足を求めていく、そういうコトを言っているのでしょう。
ただ、少し逆説的かもしれないけれども、僕はこの『満足のライン』というのは、高かろう低かろうに関わらず、それが良い悪いではないとは思う。
100円のカップラーメンで満足する人と1000円のラーメンで満足する人、どちらが素晴らしい『満足のライン』の持ち主かは関係ないよね、って。
世の中の建前的には100円のカップラーメンで満足する人が『良い人』なんだろうけどさ。
ただ、満足のラインを知らない人がお金を持ったときに、お金の使い方が下品になる傾向は多く見受けられはするけど…
だから、僕はお金持ちになってみたいんだよね。
お金持ちになった時に、自分の今思っている満足のラインを越えるような生活を自分がしちゃうのかどうかを見てみたいね。
例えば、今僕が思っている家賃にだしてもいいお金って20万円なわけ、どんなにお金持ちになっても、それ以上の家賃の家に住むのってどうなの?必要?って思うわけ。
そんなコト言ってる自分がさ、こんな家を建てて住み出したら、思って下さい。
あいつも下品になったよな…って。