1.糸魚川の翡翠

 沼河姫というと新潟県糸魚川の翡翠が思い浮かびますが、彼らは縄文時代の5,000年前には糸魚川にやってきて翡翠を採掘していたようです。糸魚川を流れる姫川は古代は沼河と呼ばれていました。また彼らの一族は新潟県内で発見された縄文後期の火焔型土器にも関わっていたようです。

糸魚川の翡翠で作った勾玉  

 

2.出雲の大国主の求婚とヤマト王朝との関係

 後に出雲の国の大国主から求婚されたように、彼ら(彼女ら?)が出雲族とJVで作ったと思われる弥生時代の遺跡は新潟県内の複数の箇所で発見されています。

 

 807年には新潟県十日町市松代に坂上田村麻呂が立ち寄り沼河姫を祀る神社を作ったとの記録もあり、彼らも親ヤマト王朝であったことが伺えます。弥彦神社の物部氏や三島郡にやってきた賀茂族とも協力関係を築き、新田義貞が鎌倉に向けて挙兵するといちはやく協力する南朝派でした。

 

3.上杉謙信が奨励した織物が絶賛

 越後に上杉謙信がやってくると彼らの作っていた青芋や麻の織物の生産を奨励しました。上杉氏は青芋を転封先の会津や米沢まで持参したし、越後では江戸時代に小千谷縮としても発展しました。南アジア原産の青芋は従来は中国経由で持ち込まれたと考えられていましたが、棚田とともに彼らが持ち込んだ可能性もあります。細くて切れやすい青芋や麻を織る技術は近年大手繊維メーカーにも継承され、世界で最も薄く軽く丈夫な生地としてインドのサリー等の用途で海外からも絶賛されています。

青芋(からむし)で織った「からむし織」現在では唯一福島県大沼郡昭和村のみで作られており彼らの一族が持ち込んだものと考えられている

 

4.ドイツ人建築デザイナーによる奇跡の再生

 十日町市松代にはこの地に残された釘を一本も使わず合掌造り等とも共通する要素のある古民家を気にいったドイツ人建築デザイナーが住んで古民家再生事業を始めました。十日町市はデザインの町としても注目され奇跡の集落とも言われています。

十日町松代の古い旅館をリノベーションして建て替え

 

5.奇跡ではなく必然?

 これらの歴史的事実の連続を見るとこれは奇跡ではなく必然とも言えるのではないでしょうか。世界中の人が大好きで探していた街なのですから。新潟県や福島県等の歴史には再生へのエネルギーが潜んでいます。日本国内には能登、飛騨、秩父やほかにもこのような古民家がある地も多数あり古材が大切に保管されリノベーション、移住者、外国人観光客を待っています。

 

釘を一本も使わない古材でリノベーションした内装

 

古民家カフェがある十日町市星峠の松代棚田 世界中の人達が探していた場所の一つはここなのは間違いないでしょう