1.なずな原の伝説

 現在の町田市成瀬と横浜市緑区長津田にいたるなずな原には長者屋敷の伝説があります。

 

現在は東急の長津田車庫になっているなずな原遺跡、左の山が殿山

 

 なずな原にあった長者の屋敷には美しい娘がいて、夜な夜な男が通ってきてどんなに門を閉じても通ってくるので、ある日衣に糸を付けて跡を辿ったところ隣の小川村にある三島社の泉から来た蛇神だったという伝説です。

 

2.三島神社と縄文王朝の関連

 三島神社といえば富士王朝に対する三島大社や愛媛県の大三島と同じく縄文後期の名門王家とセットで発見されることが多くなっています。

 

  小川村の三島社は明治時代の合祀令により小川杉山神社に合祀され現在では位置の特定も困難ですが、なずな原の隣にある殿山の下には小さな池があり当時を偲ばせます。殿山が宅地造成で崩されなかったのも謎ですし、ピンポイントで発掘すればよく効率的なのでお好みでどうぞレベルですね。 

 

3.なずな原遺跡の発掘と土偶の発見

 なずな原に東急が長津田車庫を建設するにあたり発掘調査がおこなわれ、旧石器時代から平安時代に至る集落遺跡が発見されました。特に縄文中期の土偶が発見されたことで花の都説のある岡上鶴川と較べるとこちらは少々地味な遺跡ながら後期縄文王朝の認定で宜しいのではと思います。

 

なずな原遺跡で発見された土偶

 多摩の横山の町田市と続き(都筑)の丘の横浜市の境界は1~3世紀の弥生時代後期に水田が作れたかどうかと概ね一致し、比較的平和裡に棲み分けが出来ていた模様です。

 

 おなじく東京都町田市の小山町からは同時代の環状列石と土偶も発見されていますし、全国に長者伝説もあるので徐々に書いていきたいと思います。

 

  この地が王土なのは内緒にしてあったようですが、必要に応じて秘密の鍵を開けてほしいと暗号めいた伝説を残したのでしょう。4,000年振りなのでしょうか?