ゴミ出しの曜日は近隣とかち合わないよう頑張って早起きをする。
他がルーティン通り動けば私の思惑は外れない。
でも、時々 はぁ……という時がある。
仕方ないけど。
夏のこの時期は階段に風物詩が居る事があって凄く嫌…。
私は足早に過ぎ去る事も出来ないから本当に勘弁して……と思う。
もう少しすると力尽きた個体が居たりするから、苦手な早起きに苦手な相手でダブルパンチ。
毎度本当に嫌。
でもあとひと月弱ほどの辛抱。
とにかく近くに居ないでくれれば良いのだが。
やっぱり共有部分におにやんま君をつるす訳にもいかないしなぁ…と、
良い対策がないものかずーっと考えている。
風物詩だって懸命に生きているだけだもんな……と。
そんな私にとっての危機(大げさだけど)をやり過ごし、ゴミ集積所で誰かに遭遇すれば「おはようございます」の挨拶はする私。
ただ、挨拶した相手全てが返してくる事もなく、それが「しない」なのか
「したくない」なのか、
ただ「聞こえない」なのか
「聞こえないフリ」なのか、
「出来ない」のか何なんだかわからない。
深く考えなきゃ良いのだけど、
今朝集積所で掃き掃除をしてくれていた年配女性に挨拶をしたら、
返事はなく聞こえなかったのかなと思った。
でも、その後すぐ来た年配女性には
「早いね」等と話していた。
これは、「人を選んでいるのか?」と思ったけど、もしかしたら自分の注意が向く相手じゃなければ「察知しない」もしくは察知「出来ない」のかも?と思った。
あえての無視なのかもしれない。
知り合いじゃなきゃ挨拶しないとか。
でもなぁ……今ならそれもありそうだけど、昭和世代だと挨拶をするほうが通常のような。
それこそ、挨拶するべきと叩き込まれてきたような気がするし。
まぁ、どうでもよい見知らぬ相手なのだけど、つい考えを巡らせてしまった。
とは言え、挨拶をするからまともという訳でもないと私は知っている。
そういう人間と関わる機会があったから。
挨拶をすればまともなフリが出来るから、ある意味厄介な気がしなくもない。
本当に上っ面の短時間のやり取りしかしない相手にならバレないかもしれないけど、例えば窓やドアの開け閉めであったり、外から見る行動を観察して
そこにガサツさがあるか等で何となくはわかるように思う。
言葉の選び方であったり。
そういう部分と照らし合わせて総合的に見ると、挨拶はまともなフリだな……と感じる人も居る。
完全上っ面付き合いなら、腹のうちがどうあれ挨拶を返す方が表面的には好ましいかも。
そこまで考える必要はないのだけど、
挨拶したのにスルーはそんなに良い気分ではないから。
今の時代だと押し付けだ!とかなるのかもしれないのかな。
わざとかどうかはわからないけど、
そんな、ちょっぴり良くない気分になった朝だった。