定期受診後にリハビリをするのが毎回の流れ。
これ死ぬまでずっとなの…?等と考える。今はいいけど、費用の事も気になる。
今の作業療法の先生は入院中からの私を知る先生。
それこそ、リハ室での「気持ち悪いです、袋下さい…おぇぇ…」なんて姿を見たり、虚ろな目の私を見てきた先生。
でもあれ…最初女性が担当だった気がするなぁ…実は2代目担当?
とにかく、途中担当は他に変わったりもしつつ、ずーっと私の経過を見てきた先生が今また担当をしてくれている。
うちの息子より一学年下のご子息がいらして、子供にまつわる会話もよく弾む。
先生から、息子がどんな感じか聞かれる事も多くて、社交辞令ではなく本当に私と話す事を楽しみにしてくれているのがわかる。
そして、先生はずーっと笑っている。
私の言う事がツボるようだ。
特に“老化を感じる…”というワードに反応が良く、お腹を抱えて目をつぶって
楽しそうに静かに小刻みに揺れている。
『だってぇ…先生!本当に老化がね?
今少し平均より上の値だとしたって、
老化が加わったら私のお先真っ暗よ!』なんて言ったら、いやいやいや…まだそんな老化とかそこまでじゃぁ…みたいな事を言ってくれながら、またお腹を抱える先生。
「モスキート音が聞こえないという
私1人エビデンス、世代の違う子供達でもモスキート音を試してみればいいんだ!」報告にも笑いまくっていた。
そんな先生を眺めるのも楽しかったりする。そういえば先生、これまでずーっと毎回居てくれるなぁ…なんて昨日の受診の時に思った。
助手の方はいつからだったか、
顔なじみになっている。
とても優しい声の女性で、時々女子トークに花が咲く。
昨日も子供の事で少し盛り上がった。
病院では、病気やそれにまつわる知識のある人と接するから妙な視線を浴びたり接したりされる事はまずない。
まともに 「対 ひと」として接して貰える…みたいな感覚がある。
身体がこうなる前のような。
でも病院の外に出れば途端に障がい者として見られ、接しられ、
あーぁと思う。
この温度差は当人にしかわからないと思うけど、知らないって…知識がないってこういうことなんだなと毎回思う。
理学療法では、歩行に関する値をとるのに数分間歩き続ける場面がある。
その自分の姿がたまたま鏡で見えて、
不全麻痺側はどうしても不自然な足の運びではあるものの、さっさか歩いているように見えてしまうし、
こりゃ足が悪いだけに見えるなぁ…と思った。
そうなると、
「あれは出来ないのに何でこれは出来るの?出来ないって本当なの?」と
知識のない人には怠慢を疑われる。
表面しか見れず、背景にある状況を見る事も考える事も出来ないし、
想像力もないからだろう。
怠慢じゃねーし。
出来なくて1番苛つくのは自分なんだよと思うけど、
そんな相手に何を言ったところで通じないから怠慢と思われたまま放置するしかない。
時間も勿体ないし。
世の中は相変わらず殺伐として、
改善する事もなく悪化の一途だなと感じる。
そんな中生きるのは大変なのに、
障がいというハンデがあれば尚更。
なんてこった…といつも思う。
定期受診はまた約3ヶ月後。
私の好きな秋へと近づく時期。
またどうやって先生を笑かそうか…と、
芸人みたいになってきた気がする私。
次の受診日、忘れずに公休希望を出さないと。
間が空くから忘れそうでこわいお年頃…。