顔面神経麻痺だと口が半分しか開かないから、食べるのが遅くなる。

そして、食べている口元を晒すのがどうにも嫌。


食べにくいから、食べたいメニューというより、なるべく食べやすいメニューの中からその時に食べたいものを選ぶ感じ。


友人と何度か食事に行ってはいるけど、

……、

友人には言っていないけど…、

毎回結構気を張るというか、

単純に食事と会話を楽しむ事は出来ない。


話せば食べるのが遅くなるし、

口元も気になってしまう。

引きつる笑顔もそのまま晒したくないと思ってしまう。

何だか麻痺側の鼻はよく出るし…、

鼻をかみながら、話しながら、

食べながら…というのが物凄く大変。


楽しい時間なのに、正直疲れないという事はない。

それがとてもとても切ない。

話すのはとてもとても楽しいのに。


私の友人はほぼ介護系の方々で、

高校時代の友人はかなり落ち着いた精神の方だから、私の外見がどう変わろうが何だろうが皆何も揺るがない。


でも、私自身が「見られたくない」という気持ちをどうにも出来ない。

当事者にしかわからないだろうけど、

全く気にしないということは多分出来ないと思う。

”気にしなければいいのに〜“なんて、

そんな単純なことではない。


子供にも、出来れば笑顔を見られたくない。子供達は気にしていない感じがする…でも、やっぱり私が歪んだ顔を、自分自身で受け入れきれないのだろうと思う。

こうなってもう10年近いけど。


きっと、無理だろう。

気にせず顔をオープンにして出歩くとか気にしないで笑うとか。

何も気にせず心底から笑える事などない。


そして私は杖をついている事でどうしても視線を集めるから、更に外食は遠のいてしまう。そんな嫌な事が当たり前のように多々あって、めまいで頭もグルグルで…なんて、

そもそも行く気になるかというと、

まず難しい。


元々外食は好きではない。

散々接客業をしてきたものの、

人が好きではないから他人と同じ空間で食事をするのも好まず…、

子供の為に頑張って行く…みたいな感覚。


そんな色々があるものの、

昨日は何となく外食する?と子供達に声をかけてみた。


子供が大きくなると中々そんな機会もなくなるし、私もいつまで出歩けるかわからないし。


子供達は朝から祖父と外出して揃っていたから、頑張って思い切ってみた。

子供達は「どうしたの?」と私の珍しい言動に声を揃えていた。


歩いて10分ほどの場所にある和食レストラン。空いていればお座敷使用可能なお店。


夕飯には少し早めの時間に行って、

お座敷を使えるか聞いた所案内して貰えて子供達とだけの空間で食事する事が出来た。


撮影:息子

成人した娘は飲酒を希望…、
娘にお酒をつぐ日がきた…と思ってついでおいた。
小さかった娘が…と感慨深かった。

息子も食べられる物が変わってきて、
店が限定的ではなくなってきたし、
今回利用したお店がとっても気に入ったようでまた来たいと言われた。
娘も同じようで…。

母ちゃん頑張って働いて、
また思い切って一緒に行こうと思う。

帰り道、信号で立ち止まった時にフラついてしまい、後ろに居た人に「すみません💦」と謝る場面があった…。
歩いていた所から立ち止まったら、
よろよろとコントロールがきかなくなった…なんなんだ…。
あ…月いちの影響だ多分…と思ったのはだいぶあとのこと。

そのフラツキから、息子は私の肘を支えながら歩いた。
日頃キモいとか言う時もあるけど、
なんだかんだ心配してくれるようで。
息子は外出前に、
「ちゃんとゆっくり食べてね!」と言ってきてくれた。

娘も息子も、外出時には特に何も言わなくても率先して当たり前のように私の身体を支えてくれる。

危なそうな時にはスッ…と手を添えてくれる。そうじゃない時も常に柔らかく監視されていると思う。
いつでも対処出来るように。

えぇ子達や………。と思うけど、
身体障がい者の母親である事を申し訳なく思ってしまう。

でも、だからこそ私にしか伝えられない事もあるのだろうとも思う。

それが、子供達の今後に活きるものだといいな。


私自身、動けなくならないよう最大限に頑張らないと…と思ったのだった。

とは言え、わかっちゃいてもめまいってやつぁ…どうにもならぬもの…。

悔しい。