私が定期受診するのは月曜日で、

わんさか人が居る病院に行かねばならない。


担当医が月曜日担当だから、

嫌でも人がわんさかウンザリな受診になってしまう。


人は嫌いだから好んでは見ないけど、病院内でもすぐ外でも老老介護が目に付くし、嫌でも視界に入ってくる。

老老だけじゃなく、介助する家族なりはたくさんいる。


車椅子なり、介護に関する物を扱う事を、他人事じゃないと思っていた方がいいと毎度思う。


障害者にはならないで済むかもしれないけど、高齢者には必ずなるのだから。


杖や車椅子の事を知っていても…

いや、知っていた方がいいだろうと思う。


自分自身が使わなくても、誰かの為に使うかもしれない。親とか。

自分だって必要になるかもしれない、

年齢に関係なく。

あらゆる事は起こり得るから。


それこそ、義務教育でそういう事を

学ばせたら?と思う。

よくわからない試験の為の勉強よりも車椅子の使い方なり、

お金の事…税金の事なり、

もっと実際生活に役立つ必要な事を学びたかったなと思う。


子供あるあるだと思うけど、

家を買ったら土地家屋税を払い続ける…なんて思いもしなかった。

今も思う、何で?と。


英語にしても、通じないものを何年も学習した挙句、実際には会話も出来ないとか、なに?

英会話にした方がグローバル化には良いのでは?


あとは、知らないからどうしたらいいかわからない…という状態をそのままにしておくなと思う。


車椅子にしてもそう。

使い方を義務教育内で学ぶなりしたら

街並みだって設備だって違ってくるかもよ?


歩けるから車椅子の事は知らない、

杖歩行の人の事なんてわからない…

じゃ…なくないか。


多様性とか言っちゃって、

なんか全部矛盾してないか?とか思ってしまう。


義務教育の内容、どうにかしなよ…と本当に思う。

このまま機械頼りで人間力も何もかもが下がり続け、ひいては国力も下がるだろうし、ますますめちゃくちゃになってお先真っ暗じゃないか…。


外国に移住する人の気持ちがわかるようになってきた…。


難しい勉強は出来て、頭でっかちな人間に人間力は備わるのか…?

想像力や危機管理能力は養えるのか?


介護に関する事を知る機会があって頭の片隅にでもあれば、

私が病院で遭遇した車椅子ノーブレーキ息子みたいな存在も居なくなるだろう…?


興味があるなしではなく、

知識として、それこそこういう事こそ常識にする必要があるのでは?


知らないなら知らないで仕方ないけど、今は情報社会。

知る事は出来るのだから、

“知ろうとしない”という事だとも言えてしまう。


自分には関係ないから…という事なら、義務教育内でした方が賢明だと思う。


関係なくないし、

だって超高齢社会だもの。

高齢“化”じゃないのでは、既に。


そして思うように動ける高齢者もそうは居なくなるだろうし、ますます知っていないと…という内容だと思う。

人生100年時代も今の高齢者〜その子供世代で終わると思うし。


なんて言ってもなぁ…。

そういう状況にならないとしないものか。


まぁいいや…。