した事よりも、
された事の方が覚えてる気がする。
あー…でも、嫌な事しちゃったな…も、
覚えているかも。
良い事をした時よりも。
良い事はされた時の方が覚えているかなぁ。
嫌な事は強烈に覚えている。
それまでの経緯とか、内容を細かくは覚えていなくても、
決定的な一部分は強烈に残るというか。
私の場合…あくまで私の感じ方だから相手に言い分はあるのかもしれないけど、
障害者になったら母と妹に見下され手のひら返しされた事、
妹に突き飛ばされた事。
これは強烈で忘れたくても忘れられない。
加齢とか病気になれば忘れるかもしれないけど…?
私も誰かに嫌な事をしてしまって許しがたくて忘れない…と思われているかもしれない。
私にとっては小さな事だったとしても、それをされた側からすると許せない事だったりする…。
した側の感覚、された側の感覚も違うし、立場が違えばその感じ方に温度差があるのかなと思う。
特別養護老人ホーム勤務時代の同僚が、気難しい利用者相手で困っていた時に助け舟を出してくれた…と話してくれた事があったけど、
私は『そうだったっけ?』だった。
やっぱり感じ方って違うなぁと思う。
何かをしてしまって謝りたいという場合、した側は謝る事で気持ちの上の
一区切りがついてスッキリさっぱり出来るのだろうけど、
された側って謝られてもねぇ…となるだろうなぁ…と最近考えたりする。
謝る側はスッキリ出来ても、
謝られる側は結局何が変わる訳ではなく、謝る側に付き合うだけというか…。
どうしたってスッキリなんて出来ないし、それこそ水に流す…なんて無理だと思う。
表面的には流れたように装えたとしても、本当のところの気持ちは伴わないだろうと思う。
された側が受けた傷、えぐられたものってずっと癒える事はなくて、
そうなる前には絶対に戻れないと思う。
世の中に絶対はない…と思う場面もあるけど、これには適用しないだろうと思う。
グシャグシャに丸めた紙が2度と真っ直ぐのキレイな状態に戻らないのと同じで、どう伸ばそうとしてもグシャグシャの跡は絶対に消えない。
見た目では、少し伸ばせたとしても。
それでも、謝られた事をキッカケに関係を再構築したいと思える相手なのであれば、元通りにとは絶対にいかないけど、折り合いをつけて向き合っていくしかない。
それでむしろ良い関係になれて、
怪我の功名だったねとか言い合える人たちも居るのかな…。
私は…例えば母や妹に謝りたいと言われたとしても、もう関係を再構築したいとは思えないしお断りするかな…。
そう判断する事で、私の方が
『何故許せないのだろう』等と気に病むのもなんか違うのかな、とも思うようになってきた。
許せないものは許せなくないか…と。
それでいいと思うようになった。
それで、許せない事を非難してくるような人間とは付き合いたくないから離れる、関わらない。
これでいい、と。
後々許せなかった事を悔やむのか…。
今の私は先々の私がそうは思いそうにないな、とやっぱり思う。
何せここ数年連絡せず会わず、
それでも何の影響もない。
会いたいとも思わないし、向こうから何か働きかけてくる事もない。
あっても困るだろうし。
母は私に罪悪感があると言っていたようだけど、それも何をキッカケにして何故そう思ったのかわからない。
母と付き合いを続けている娘から聞いた事だからどういう流れでそういう話になったのかもわからないし、
母に直接連絡出来るけど別に聞きたくないし知りたいとも思わないからしない。したくもない。
もう、私は母と妹との家族契約は終了したと思っている。
父の生前も死後も長子として出来る事はしてきたし。
もしこの先私の中で何か変わって歩み寄りたいと思えばその時は動けばいいし、それが2度と叶わない状況になってからだとしたら、そういう事だったのだな…と受け止めないとならないのだろう。
これまでの私、どうだったのだろう。
全く恨まれていないとも言い切れないな…。
複数に恨まれていないといいな…