話し合いをしたのに、
元夫は何も理解出来ていなかったとわかったのは、わりと最近。
別居から離婚届けを出すまで2年かかった。この2年は何だったのか、
何の2年だったのか私はずっと疑問だった。
あぁ…そうだったのか…とわかった
キッカケは、娘が離婚までの経緯を
祖父(元夫の父親)から聞かされた
と、私に話してくれたからだった。
祖父(元夫の父親)が私の娘に離婚経緯を話したのは、自分の息子可愛さからだった。
オェ…………
“だからパパに優しくしてあげて”と言いたいが為に。
何とも理解しがたい言動だけど、
いや、元夫があんな風なのがむしろ頷けるかも。
難しい勉強が出来て高学歴、
世の中的には勝ち組風だけど、
中身はそんななんですな…。
としか思えないです、私は。
「パパにそんな事言わないの。」とか平気で言うらしい。
何その訳のわからない言い分。
パパなら何しても正しいの?
頭ヤバいですね…。と思う。どうりであんなだよな…。
娘が祖父から聞いた離婚までの経緯…
※私が勝手に出ていった。
話し合ったよな?あ”ぁ”?
出ていく日、伝えていただろ?
直前に物凄く珍しく体調不良になったあんたはさ、「出ていくのを延期して欲しい」って頼んできたよな?それで延期してやったよな?
(めちゃくちゃ嫌だったけど…)
なのに、勝手に出て行ったとか言って…情けなくならんのか?
ならんのだろうな。
※2年間離婚回避の為に自分は頑張った。
何をどう頑張ったって?
時が過ぎておさまるのを待つ事も頑張った事になるのか。スゴイな。
こっちは助成も受けられず医療費もろがかりで看護助手しながら大変だったんだよ…。
早く別れてくれた方がよほど有り難かったのだが。
祖父は、
息子から聞いたその経緯を鵜呑みにし、まぁそれは仕方ないのだろうけど…
嫁に勝手に出て行かれ、2年間子供の為に離婚回避に頑張ったのに結局離婚する事になったパパは可哀想だから、
そんなパパに優しくしてやって。と言いたくて作話のような離婚経緯を孫に話した…。という事のようだった。
そもそも、
離婚離婚と騒いだのは元夫。
娘の妊娠中も息子の妊娠中も、
自分に構えないのなら一緒に居る意味がないから離婚した方が良いのではないか?
と何度となく軽々しく言ってきた。
結婚より先に子供が出来たから私は
とにかく現実を考え、子供の為にと結婚した。
相手と同じ道を歩みたいからとかいう理由ではなくて。
もう、気持ちはさておき親としての責務を果たさねば…と思ったのだ。
元々、元夫には“ん?”と感じる部分が多々あり、はなから気持ちが危うかった事は自覚していた。
でも、ひとまず子供達の成人までは何とか我慢を…と思いつつ、どうにか気持ちを立て直せないか歩み寄ろうとした時もあった。
でも、話が続かなかった。
『スマホだってー、iphoneだってー。』
と話しかけた事があったけど、
「そういうの興味ないんだよねー。」
はい、終了。おしまい。
全体的にそんな感じでアカン…となった。
現在iphoneユーザー。
興味わいたんだね!
ずっとガラケーのまま居れば良かったのに!
感覚が違いすぎると…歩み寄ろうとか、もうそういう次元の話しじゃないんだな…と今ならわかる。
平行線…交わらない、いつまでも。
同じ方向を向いて共に歩いていきたいという気持ちがあっても色々あるのに、そうじゃなければとんでもなかったな、なんて。
子供の為にどうにか取り繕おうと気を張っていたのだけど、状況を良くする事も出来ず、嫌な思いをさせ続けたと思う。
それは申し訳なかったけど、
元夫も、ヒョイヒョイと離婚を口にしてきた。
「どうしたいか考えておいて?」
と、偉そうに本当に何度も。
それでいざ別居〜離婚となったら全然話しが理解出来ていなかったとは。
理解力…………………。
話しても伝わっていなかったのなら、あの時間は何だったのか。あの2年…
無駄が多かったな…多すぎだ。
私は全て必要な事を伝えていた。
そのつもりだったけど、元夫は全然理解出来ていなかった…。
私は別居の時点でもう離婚一択だったから、その時点でまずズレていたのだろうな…と今ならわかる。
ズレポイント①だ。
元夫は、離婚だと騒いでも本当に離婚する事になるとは思っていなかったのかもしれない。
別居も、少ししたら気が済んで戻るだろうとたかをくくっていたのかも…?
感情のままに言葉にしただけなのかもしれない。
私は私で散々留まろうと気持ちを抑え込んできたけど、状況改善する事も出来ず、軽々しく何度も何度も離婚離婚と言われてブチ切れたのだと思う。
あーもぅいい…と。
私は子供が居たら簡単に離婚を口に出来ないという考えだし。
そうなると、もう元になど戻る訳がない。離婚一直線でしかなかった。
でも、多分相手は違っていた。
これがズレポイント②だ。
女性と男性の脳の違いもあるのかな…
女性はこうと決めたら突き進む傾向にあるような。
だから、粘るポイントもそもそもが
ズレていたのかも。
父から、
「子供達の為に離婚は回避しなさい」と言われていたらしい元夫。
まぁ、通常その気持ちが前面にあるものだろうよ。
それで私も何とか…と踏ん張ろうとしていたのだし。
しかーし、
自分が“離婚推し”していたという事実を多分両親には伝えず、私が勝手に云々…という事になっているのだろう。
とこまでもカッコ悪い…。
いや、わざとじゃなく本当にそう思っているのか…。
むしろ、回避しようとしていたのは私なのだが。それも知らないだろう。
別居の時点で離婚一択だった私は、
別居中に娘の学年が上がるタイミングで姓を変える事にしますよ…と元夫に連絡した。
確かに連絡した。
その後、姓を変える対応を学校にお願いした。
当時の担任も、「学年が上がるタイミングで変えたのは良い判断だったと思います。」と言ってくれた。
でも、元夫はそれを全然理解出来ていなかったようで、また勝手な事をしたと受け止めたのだろう。
元義父からは、『背信行為だ』と怒りの封書が私宛に届いた。
裏切ってないしな、私。
何でも黙ってなんてしないし。
息子が理解出来ていなかっただけでしょうが。
話して伝えたつもりだったけど、
全然伝わっていなかった…
相手が自分にとって都合の良いように受け止めていたとしたら、
どう伝えようがこちらの思うようには伝わらないのだな…とわかった。
私は青🔷のつもりで伝えていたけど、
相手は緑🟩と解釈していた…みたいな。
こっちの思惑とあっちの思惑が全然合致していなかった…。
簡単に言うとそれだけの事なのだろう。
もう、全てがこんな感じだったのだとしたら、一緒に居られる訳が無いなとおそろしくなった。
そんなの、
合う訳が無いし、一緒に居て楽な訳が無い。むしろ苦痛でしかない。
どこまでもチグハグな関係でしかないから、今もイライラしかしないのだなと妙に納得。
騒いでくれて、私は助かったのだな。
ある意味ありがとう…と思う。
あのまま我慢していたら、多分私はとっくに空に居ただろう…
脳腫瘍で息が止まって、きっとそのまま。
私は勝手に出ていって離婚たらしめた酷い母親…という設定なのだろう。
ププッ…笑える
まぁいいや、どうぞご勝手に。
もう義両親と連絡を取る必要もないしどうでもいいや!
悲劇のオジサン、がんばれぇ
しっかしよくもまぁ…と思う。