我慢は

美徳ではない。


でも、この国ではそう刷り込まれながら育てられてしまうようなもの。

親にその意図がなかったとしても、

「人に迷惑をかけてはいけない」

という言葉を投げかけられながら育っていく。


すると、助けてと言う事も出来ずに

1人抱え込み追い込まれ、望まない結果を生む事になってしまったりする。

その事に気付く事すら出来ていないような…。


誰にも手を借りずに生きて終えていく人間なんて居ない。

誰だって誰かしらの手を借り生きているのだから。必ず。


それを、

【手を借りる、お願いする】=【迷惑】

と間違って解釈しているからおかしな事になってしまう。

そもそもの迷惑の解釈からして違う。


間違っていても、共通認識になってしまえば正しい事になってしまうからこの場所はコワイ。


【大人】=【何でも1人でする】

という共通認識もおかしいと思う。

これも、追い込む要因なのでは。


だから、1人で1人で…と何とかしようと抱え込む事になってしまうのだと思う。

それで良い方向に行くかというと、

むしろ逆だと思う。


私も、

人に迷惑をかけないようにという呪文にしっかり惑わされ、

我慢は美徳だと思っていた。


だから無茶もしたし長子という気質もあったり家族の状況から、尚更1人で何とかしようという気持ちが強くあったしそうしてきた。


それがしっかり染み付いているから、

身体障害者になった今でも、

身体的にどうしようもなくて必要だとしても「お願い」する事に気が引ける。

これはこれまでの負の産物だな…と感じている。


本当の大人とは、

自分の力量や度量を見極め自覚し認め、基本的に出来る事は1人でするけど、出来ないと判断すれば他に割り振ってそれを成し遂げる采配が出来る…そういう状態じゃないの…?と思うようになった。


だから、下手に1人で1人でと抱え込んで無理をして結局ダメになってしまうのなら、

上手く采配をして成し遂げた方が

それこそコスパも良いだろうに。と思う。


むしろ1人では達せない地点にたどり着けるかもしれないし、

私はそういう大人で居たいと思うようになった。


「助けて」と言えないような今の風潮では、いつまでも色々な事が伸びないだろうと思う。

だから、いつまでもここは変われないのかも…とすら思う。


何も常に助けてと言うのではなく、

基本1人でやるけれど、でも出来なかったり難しかったりする事は、

「手を貸して貰える?」

「お願い出来る?」と頼めばいいのではないか。


何でもかんでもすぐ助けてではなくて、これは難しいぞ、1人だとどうなんだ?という時にはお願いする…で良いのでは。


そして、お願いを受けてくれた人が大変だという時には喜んで手を貸し、

お返しすればいい。

その時にすぐ返せないとしても、のちのちWIN WINになるのでは。

返せる事ならすぐ返せば良いだろうし。


お願いする、頼る事を【ズルい】とか【図々しい】等と思ったり言ったりする輩はどんな事になろうが1人で全部すればいい。

どんなに大変だろうが、どんなに悲惨な結果になろうが。

好きに自滅すればいい。

でも、他にゴチャゴチャ言わず、勝手に自滅なりすればいい。


『お互い様』を死語にしちゃいけないと思う。

人間社会に『お互い様』は必要。


現代はとにかく忙しいし、人間関係も希薄で殺伐としていて、

『お互い様』も失われてきていると感じる。もう殆どないのかも?

だいぶマズいと思うのは私だけか。


いい歳こいて、

自分が1番可愛くて、

自分が1番大変で、

他を蹴落としてでも自分が1番楽をしたい…というのがそこいら中に居る気がする。


おそらく近い将来 定型脳の人間は居なくなる…そうなれば、想像力の乏しい人間が殆どになってより殺伐とするだろうと思う。


『お互い様』も完全消失してしまうかもしれない。

より、生きにくく辛い世になるのではと考えると未来人が気の毒になる。


助けてと言えて、お互い様…が通常になれれば優しい空気も感じられるだろうになぁ。