術前、
当時の担当医から「社会復帰出来る」という言葉を聞き、私は何の疑いもなく、大して状態が変わる事もなく働けるものだと思っていた。
それが、フタを開ければこの有り様…。いまだに当時の担当医が何故そんな事を言ってきたのかわからない。
2番目の担当医も今の担当医も、この場所の腫瘍だと後遺症は免れないと言っているのに。
今の担当医には、わりと最近聞いてみた。
「先生なら、この画像を見て私に
早ければ10日で退院出来る、
社会復帰出来るって言いますか?」と。
すると、
『10日で退院は…出来るかもしれないけど、社会復帰が出来るとは言えないと思います。』という言葉が返ってきた。
2番目の担当医も、『小脳のこの場所の腫瘍で後遺症は免れない。』と言っていた。
それでも、私は当時の担当医からはそう言われたと伝えたけど、
『いくら◯◯先生でもそうは言っていないんじゃ…。』みたいな事を言われて、“いくら◯◯先生でも…だと?
何だ、医者同士のくだらない助け合いなのか、かばい合いなのか…?”なんて思ったりもした。
なんでもいいけど、しっかり伝えておけよ…と思った。
こういっちゃ悪いけど、担当医ハズレだったのだろうなぁ。
でもなぁ…術前説明の時、他の脳外科医も居たと思ったけど、補足とかなかったよな…。何考えてたんだ?
うつぶせで手術をするから、術後全身が痛くなると思うよと言われたけど、
そんなのはどうでもいい話だったな。
特にイテテテテ…とはならなかったと思う。吐きまくってそれどころじゃなかったし。
珍しい症例とは言え…うーむ。
院長先生、私の名前を覚えていたもんな…【珍しい症例のカルテの患者】だったかららしいけど。
私は退院する時も帰宅してからも、
しばらく歩けなかったし、変わりまくった体の状態で生きる事に精一杯で余裕なんてなく、働くとか働きたい…
なんて事を考えられる次元じゃなかった。
働けそうだと感じられてきたのが、
退院から3〜4年程経ってからか…。
でも、通勤などまず無理な身体状況で、障害者就労支援に登録し活動したけど、完全在宅勤務でデータ入力で…なんて求人自体がそもそも少ない。
完全在宅勤務となると、あらゆる所から応募可能で、更に採用される確率が下がる。
結局は経験で見られるから、障害者になるまで畑ちがいの事をしてきた私は幾ら独学しようが経験は得られず振り落とされる。
まず、書類審査がそうそう通らない。
Web面接は2回経験したけど、おそらく事務経験のある人と比較され不採用…。
30〜40社だっけ、もっとだっけ…
とにかく落ち続けた。
障害者としての就活は容易ではないだろうと覚悟はしていたけどさすがに堪えたし、もう私の人生に給料日なんてないのかもしれない…そう思った。
当たり前のように難なく体が動き、
当たり前のように働いていた頃は休みたい、仕事したくないとか思っていたけど、いざ状況的に【不可能】となると絶望を感じた。
難なく体が動けば、仕事を選ばなければ幾らかは稼ぐ事は出来る。
私は、介護職から離れたかったけど、いざとなったら介護職をするしかないと考えていた。
それが、障害があると仕事を選ぶ事すらできない。
【これなら出来る】という事しかなく、他は全部無理だったりする。
だから、これなら出来るという仕事を得ることすら出来なければ、もう働く事も叶わない。
働けないとなると、働きたくなるのが人間。
どこまでもないものねだりな人間。
障害者の待遇も前よりは良くなったのだろうけど、当事者からすると正直微妙。
前までが酷すぎたのではとも思う。
大昔なんて見世物にしていたようだし、殺されたりしていたのではとも思う。
人間は、同種だからと助け合うというより、基本自分に関係ない事はどうでもいい…そんな生き物のような気がする。
そうではない人間も時々居るけど、
絶滅危惧種並みだと思う。
私の体感はそう。
自分はなるはずもないと思っている障害者の待遇を改善しようなんて積極的には思わないのだろう。
とりあえず対応しています感を出してパフォーマンスをしておいて、それで済ませる。
自分達に困る事はないから。
だから、いざ障害者になった時にこんな世界だったのか…と絶望的になるのだろう。私もその1人。
ここまでなのか…と。
でも、これは障害者に限らず高齢者への待遇もそうだと思う。
高齢者には必ずなるのに、おざなりのまま。
それで平気なんだ、すごいね?と思う。
そりゃ、障害者はおざなりのままだよな…と嫌な納得が出来てしまう。
難なく動ける体で当たり前のように働いていたらきっとわからないと思うけど、
その当たり前は当たり前ではなく、
恵まれているのだと思えたのなら、
人生を過ごす時間の質が変わるだろうになと思う。
私もこうならなければ気づけなかっただろうから、何か物凄い事でも起こらなければ中々そうは思えないだろうけど…。
働ける事は当たり前ではなく…。
今私が働けているのも、採用してくれた会社のおかげだし、
その縁をくれたひとり親就労支援員さんのおかげで…。
この縁がなければ私は無職のまま、
息苦しい実家で嫌な母親と同じ空間に居なければ生活していけなかったかもしれない。
考えただけでも息苦しくなる…。
だけど、縁に助けられ今がある。
何をどう受け止めどう感じるか…。
何を大切にしてどう生きるか…。
ぼーっと生きていたら全てに申し訳ない気がする。
でも、常態化すると当たり前に感じてしまうから、定期的に自分を戒める。
私はこれでいいのか、
動物のように必死に生を生きているのか、
必死になった事はあったか…などなど。
大変な思いをしても生きていて、
杖をついて歩いているだけなのに
馬鹿にしたり頭の弱い人間みたいな目で見るような人間達ばかりの世。
ジロジロ見るその心は?
どんな気持ちで私をジロジロ見るの?
本当に、全てが馬鹿らしくなる。
そんな人間達を私は心底から軽蔑するし、私の瞳にうつらないで欲しいぐらいだ。