脳腫瘍になって、開頭手術を受け、
命と引き換えに負った複数の後遺症と共に生きてきて7年ほど。
本当に短時間ではあったし、どこかヒトゴトのような感覚でもあったかもしれないけど、
“死ぬかもしれないんだ”と一瞬でも
死を身近に感じた事もあってか、
この出来事の前とはあらゆる事が激変した。
世の見方、物事の捉え方、感じ方、
あらゆる事が。
何でもない人間が、
「そんなワケないじゃ~んw」
と笑って済ませられるような事を体感したからだと思う。
『あらゆる事は起こりうる』
私はそう思うようになったし、
ある意味目が醒めた気がする。
世の中、どれだけの事を見てみぬふりをしているのか。
表面だけ取り繕って、頭はスカスカ…。
賢ぶって、とりあえずの善処しました感を醸し出して終わり。
自分が良ければそれでいい。
そんな風潮。
“ずっとこうしてきたから”
“前例がない”と、
新風を嫌う。
そりゃー、そんなんじゃ弱者の立場なんぞ良くなりゃしないよね…と、
嫌な方向に大いに納得。
そんな事を感じながら就活をし、
一向に決まらず…。
経済的な事も考えて、
携帯は格安に乗り換え、その時に友人知人との年賀状はやめようという判断をした。
特別養護老人ホームで働いていた時の
一部の方々と年賀状のやり取りもその時にやめた。
その中のおひと方で、
会えば「○○さんお美しい✨」
年賀状でも「お美しい○○さん」と書いてきてくれる方が居て、
顔面神経麻痺で歪んだ顔でしかなくなった私には、それをスルー出来るメンタルスキルはなく、事実は違うのに…となってどうしてもモヤモヤしてしまっていた。
だからという訳ではないけど、
少なからずそんなモヤモヤもあり、
年に1度の年賀状であっても私には負担だと総合的に判断しての事だった。
もう3年前位かな…年賀状じまい宣言をしてやめたのは。
今はLINEだのあるし。
でも、これまで1枚だけ送ってきた年賀状があった。
それは元義両親宅へ。
そういう形式に拘り、それこそが常識的みたいな考え方な元義父だから。
少し前まで、元義両親が色々協力してくれる事を何故か素で“私を案じてくれているのだろう”と勘違いをしていたけど、
元夫の
「嫁(私)が勝手に出て行って別居となり、その間自分は離婚回避に向け頑張ったけど、それもむなしく離婚に至った。自分は離婚したくなかったのに嫁が~…………」
という全くの作話を信じきり、
愚息を盲目的な目でしか見られず、
孫である娘の前でも平気で私を悪く言う愚息を諭す事も出来ないポンコツぶり。
それを知り、
あぁ、まぁ結局は良く思われていないのだな、協力も結局は自分等の為なのだな…と私は悟ったのだった。
私がどうにかなれば、自分等が動く事になるのだろう…と、ぼんやりは思っているのだろう。
普段、「あなた(私)に何かあったらどうするんですか?」とノープランで騒ぐだけあってぼんやりとだけ。
私は実母と関わりを断ち、
実母においそれとその矛先を向けられないとわかっているだろうから、心中穏やかじゃないのだろう。
私に何かあれば実母が動くのが当然だと思っている人たちだから。
じゃあ、
あんたら孫(娘)の
ナンナノ?
としか私は思わないけど、要は“面倒ごとも含めあらゆる事を取り仕切る私が居なくなったら困る”から、私を案ずる素振りで自分等を守っていたという事なのだろうと解釈したら、
元夫は再婚したワケだし、
私は赤の他人だし、
どう思われようがどうでもいいし、
なんかもう全部断ちきりたい…となって、
終活を進めている·私の死後の子供達への負担を減らしたいからから…と、
賀状での挨拶はいたしません宣言をした。
だから、来年分から年賀状は一切なし。
元義両親との関わりもまずなくなった。
たまに娘づたいで何か貰ったりはするから、その時はお礼を元義母にはするけど。
凄ーーーーく失礼だけど、
その関わりで何かが毒されていた部分があるように感じていたから、
私としてはスッキリした。
金輪際サヨウナラー。
年賀状も良いと思うけど、
時代に沿う形もあるという事。
それが良いとか悪いとかではなく。
わりと頻繁に思う事がある。
あの、薩摩の暗殺されてしまった人物が暗殺されなかったら、現代はどうなっていたのかと。
表面ばかりの世を見ていると、
歴史上の出来事も、それが本当に真実を正確に伝えられてきたのかと疑う。
都合良くねじ曲げられてきたのではないかとすら思うし、
結局はどの時代も人間の愚かしい部分があからさま。
昔はかなりおかしかったけど、
今も充分おかしい。
結局、愚かしい。
人間、好カン。