責任をとって辞めて、本当に責任はとれるのか?
誰かが辞めるという、とりあえずの可視化出来る為の形式…要は表面上取り繕って…というふうにしか私は思えなくなった。
障害者になり凄く感じる事。
世の中は上っ面過ぎるという事。
心の目で物を見られる人間があまり居ないという事。
正しい事すら忖度などで流されてしまうという事。
おかしい、めちゃくちゃな価値観なのではと思う。
本当に諸悪の根源なら、辞めさせて離れさせないとダメだろうけど、
とりあえず責任をとるみたいなのは…。
“責任をとるという形を重視する”みたいな時は、辞めるよりも無給でひと月とか働かせて、
何故そうなったか、と、
そうならない為の解決方法を示させて実行出来るまでに持っていかせる。
それで、そこで働き続けたいなら一定期間監視下で仕事をさせる。
一定期間過ぎたら監視を外す。
もし次何かしたら監視下で半年~1年間無給後に追放。とか。
これまでのやり方だって正しいとは限らないし、伝統だから·ずっとこうだったからとかじゃなく、今どういう風にしたら良いのかを、人間もアップデートしていかないと…と思うのだが。
大事な事もあるけど、これまでの事が絶対的に正しいと思い込んで、おかしいとも思えなくなるのもまた問題で、
忖度とかなく正しい、おかしい、をきちんと判断出来る世であって欲しい。
保身とか、忖度とか、
正しい事が正しくないとか突き放されたり、おかしな事だらけで何が何だかわからない。
でも、これまで通りは違うだろ…と思えて仕方ない。
流されちゃダメな事は流されたくないなぁ…でも、しっかり染み込んでいたりもして、自分が嫌になったりもする。
それに慣れすぎてしまっていて。
世の中少しマシになったなと、
棺桶に横たわる前に少しでも思えるのか。
うーん。そうあって欲しいけど。
人間そうそう変わるもんでもないしなぁ。とも思うし、微妙。
でも、このままで良い訳はないと思う。