自分以外の人間は、他人。
自分とは“他の”人。
だから、血が繋がっていても“他の”人。
冷たい意味ではなく、単なる事柄。
それを、
『家族だから』とか、必要以上にまとめようとする感じ?は、
一体何なんだろう…と、私は思う。
家族だから、何なんだろう。
スピリチュアル的には、生まれる前から自分の魂の成長が出来そうな設定を選んでいる…という事のようだけど、
血が繋がっているから、縛り付ける?
関係が良ければ繋がりは嬉しいけど、
そうじゃなければ嫌な事でしかない。
下手したらマイナス。
たまたま同じ場所に集まる事になった、
お互いに選んだ訳でもない人同士なのに。
私はひねくれた見方をするようになってしまったのかもしれない。
障害を負い、ありとあらゆる事が変わらざるをえず、この目を通して見えるその見え方もかなり変わったからだろう。
多分、感じ方もだいぶ違うし、
価値観もひっくり返った。
だから、何なのその考え方?と反感を買うかもしれない。バッサリとしている所はあるし。
それはそれで仕方ない。と思う。
それに、実体験もあったりするから…
良い家族だと思っていた母や次子が、
障害を負った私に手のひら返しをしてきた事もあり、
尚更、家族って…と思うのだ。
誰かと暮らすという事は、
自分勝手にとはいかないという事で、
少なからず相手に合わせる必要が出てくる。
それが、我慢出来る範囲なのか、
そうではないのか。
そうまでして一緒に居たいのか、
そこまでして一緒に居たくはないのか。
血の繋がりがあれば、
したいしたくない関係なく、相性が悪かろうが一緒に居る事になってしまう。
むしろ家族の方がややこしいかもしれないし、理不尽が通ってしまうような気さえする。
そして、
全て断ちきる事は出来ない…。
物理的に関わらなくしても、
戸籍上の繋がりは断てない。
結局は、どこか繋がったまま。
血の繋がりのない“他の”人となら
戸籍上その痕跡は残ってしまうにしても、離れる事は出来るのに。
何にしても、“他の”人と暮らすのには、
愛情が必要というか、
その人と時間を共有をしていく為に、
自分が合わせる気持ちがあるのか、
そうしたいのか、
その気持ちを維持し続けられるのか、
それを継続していく事が苦ではないか…
がポイントなのかな…なんて思った。
そこに愛情が加わればまた違うものになるのだろうな。
相手に尊敬出来る部分があるのかもポイントなのかな…何だコイツと思うような所が度々ある人とは無理だもんな…(実体験)
あとは、独りよがりなtakeも良くないだろうし、giveばかりでもダメだろうし…。
あんばいが難しいけど…。
尊敬出来る部分のある、
気を遣いすぎないで時間を共有したいと思い続けられる相手…。
そんな相手居るのか?と思うけど、
居る人もいるんだよな…。
ウラヤマシか~
とってもうらやましか~