大伯母は四捨五入すると100歳。
1人で頑張って暮らしている。
凄い。
縫い物に絵画に陶芸に…と色々チャレンジしてきた大伯母。
わりと有言実行で、母方にしてはわりと近い考え方の人だから、
話が合うとは思っていた。
子供がいないこともあって、
頼るのは近所の年配者であったり、
ただ頼む訳にもいかないからと幾らか渡したり、
とにかく気を遣うから疲れると話していた。
そこで私は先月中旬あたりから?ネットスーパーで大伯母の頼みたいものを頼むようにしている。
始めは気乗りしなかった様子だけど、
お金も気もこれまでほど遣う事もなく品物が届くので、
もうすっかり定着し、2週に1度は注文代行をしている。
これも、AEONさんのおかげ。
その為、電話で話す事も増えたのだけど、わりと出てくる引っ掛かり言葉がある。私は、なのだけど。
それが、
“昔は
厳しく育てられたから”
という言葉。
きっと、今よりはずっと押さえつけも酷かったのだろうし、自由ではない事もあったのだろう。
ただ、昔ってとにかく押さえつけるイメージで、それが正しいのか正しくないのかを問わずに、【こうあるべきだ】を一方的に押し付けられる育てられ方だったようにしか私には思えない。
そして、それが可能な時代であった事。
今よりも定型脳が多かったのだろうし、
それが可能であったからそうなったのであろう。
今はきっとほぼ定型脳の人は残っていないだろうと思うから、そんな事もあって押さえつけようにも押さえつけられないのでは。
そして、昔は通った事でも、今やそれが間違いだったとわかったり、
ハッキリしてきた事も出てきたり。
昔は昔である意味大変だったのだとは思う。
ただ、現代は昔よりも生きにくい事は間違いないと思うし、ある意味昔よりも、大変な事の方が多いかもしれない。
そんな事を比べても仕方ないのだけど、
大伯母から滲み出るような、自分は大変だった感に引っ掛かりを覚えるようになってしまった。
おそらく大伯母もデコボコ疑惑があると私は見ているので、その傾向も多々見られ、思い込みも激しい所があるから、
正しいのか正しくないのか、
よくわからないなぁ、それは偏った見方なんじゃないのかな…と思いながら話をするようになってしまった。
私もわりと反論するというか、現代は現代で大変な事を伝えてはいる。
でもきっと聞き流されていて、やっぱり自分は大変だった、昔は厳しかったけど今は違うよね的な事を言われる流れに
どうしてもなる。
まぁ、100年近くそういう思考で生きてきたのだから、そう簡単には変わらないと思うし、もう変わらないと思ってほど程に反論しながら私も流している。
年相応の物忘れがあるから、介護職時代を思い出しながら…。
繰り返される質問や話に何度も答えるのは、慣れた私でも時にムムムとなるから、介護とはかけ離れた人からすると、とんでもなく苦痛なんだろうな…なんて思いながら、特にデイサービスを思い出す。
赤の他人でデイサービスで会っていたとしたら、どうだったのだろう。
なーんて。