本人から聞いた訳ではないから、

本当のところはわからないけど、

実母は私が障害を負ったら態度が180度変わった。


親の自分より色々出来てしまい、

考えもしっかり·する事もしっかりした私を、疎ましく思い嫉妬してきたのかもしれない。


敵わないからと、子供である私にシタテに出てずっと我慢してきたのかもしれない。


私も私で、いい気になって傲慢な態度だったかもしれない。

だから、何も悪くないのに…とは思っていない。

ただ、それを許してきたのは実母であり、私だけがどうこうという問題でもないとは思う。


そんな、敵わない私が障害を負い、

自分より動けなくなり、出来ていた事が出来なくなった…。


こ…これは、自分の方が上なのではないかひらめき??

と、自分は何も変わっていないのに、私がこれまでからだいぶレベルダウンしたものだから、そう錯覚したのではないかと思っているのだけど…、


おそらくそう。

どんどんあからさまに態度が横柄になっていったというか、

何も気遣いもしなくなっていった。

それは、兄弟も同じ錯覚をし、

実母と共に横柄に。


しまいには、口論の末、兄弟は私を突き飛ばし、実母はそれを止めるでもなく見ていた…という事態に。

こうなったら、もう家族とは思えないな…と、私も気持ちの中でこの2人を切り離していった。


兄弟は、突飛ばされた後、感覚のおかしな実母が正月に召集した時に私の視界に入ったっきり。

もう会う気はないし、関わるつもりもない。


この正月も、重苦しい空気の中、

皆が食事を済ませたあと、

1番最後に『どうぞ』と声をかけられるという屈辱を受けたっけ。


実母とは同居だったから、仕方なく同じ空間にいたけど、それはそれは嫌だった。


会話もせず、生活も全くの別々。

全く気を遣わなくなった発達障害的な実母は、それはもう最悪で、イラつくという次元ではなかった。


最後の方は、あからさまに誕生日を無視された。

孫であるデコボコ疑いっちにはお祝いを渡し、間近の誕生日の私は無視。

これには驚いたというか、ここまでなのかコイツは…爆笑と、むしろ笑いが込み上げてきたっけ。


引っ越せて、やっと同じ空間にアイツ(実母)を感じなくて済むようになり、快適すぎて快適すぎて…。


そして、やってきたデコボコ疑いっちの誕生日。

アイツからメールが来たオエー


少し前にあった地震の事…

大丈夫だった?明日少し寄ります、宜しく…だと。


地震で心配するのは孫だけだろ?

私はあんたの心配なんか全然しなかったけどな泣き笑い

しかも、こっちの予定お構い無しとか、

何様?

少し寄りますじゃねーよ。

およびでねーし。

冗談じゃない、ここには入れない…凝視


そう思い、嘘も方便。

オンラインの約束があって出られないから、ドアポストに入れるかコンテナの上に置くか玄関にかけてくれと伝えたら、わかったと返事が来てホッ…。


本当は、玄関まで来られるのも嫌だった。うちは誰もあんたに会いたいなんて思っていない。

なーんて、思ってもいないんだろうな。


孫より

自分の子供の方が可愛い

なんてぬかしていたけど、

今や子供の私の誕生日も無視。

孫の方が可愛いらしい。

別にいいけど。

むしろいいけど。


玄関ポストに入っていたのは、

孫であるデコボコ疑いっちへの誕生日祝いのみだった。

やっぱりあからさまに、意思を持って私の誕生日を無視している事がわかった。


もしかしたら、私が直接応対したら渡そうとか思っていたのかもしれないけど、

拒否したから無視したのかもしれない。


子供っぽい人間だからなぁ…考え得る。


あからさまな無視、

私を産んだ事も無かった事にしたいのだとしたら、それはそれでいい。


私もいっそ、あんたから産まれた事を無しにしたいし。出来ないけど。


でも、こんな風に母親に誕生日をあからさまに無視される事を、どこかショックなのかな?とか、考えたりする。

子供として、何も感じないという事もないだろうなとは思うけど…。


母親でも、こんな風になるんだなぁ…

こういう母親も居るんだなぁ…という人間が自分の母親である事が、疎ましい。


私からすると、子供を殺す母親と同種というか。

どういう感覚なんだろうなぁと不思議。

全然わからないけど、嫉妬ってコワイなぁと思う。


少なくとも、母親としても、

私は全く違う感覚で、

人として実母や兄弟は無理だと改めて思った。


でも、私は母親を失う怖さが全くなくなったから、これは有り難い事なのかもしれない。

非常に辛いであろうと思っていた事だから、それを解消してくれた事にはある意味感謝。


本当に居なくなった時にどう感じるのか、それはその時になってみないとわからないけど、私はもう顔も見たくないし、最期がどうなろうと関わろうとは思えないと思う。


家族とは言っても、たまたまの集合体。

血の繋がりなど、たまたまの事。

だから何?それが何?と、今は思う。

要は心の繋がり。

何かあった時に、本当の姿が浮かび上がるものだと知った。


私は、家族とは名ばかりの集合体だったから、父の連れ子で他人なんだと思う事にしている。


誕生日が嫌な日になった。

産まれてしまった日だから。

産まれるにしても、あの母親の元に産まれたくなかったな…そう強く思う。


そんな風に思われる母親に、

私はなりたくないな。