わりと色々な事を経験してきて、
病気をして後遺症を負って
障害者になって、
今は生かして頂いている私だけど、
“MRIで所見あり”で、
診断名を聞くまでの間に、
一瞬でも死を覚悟した時はあって
死ぬかもしれないと思った経験から、
物の見方は180度変わったなーと感じる。
もし生きられないとして、
あとどれくらい生きられるのか、
どういう治療をして、
自分が最期にどうありたいのか、
少しでも考えておいて、
それを伝えられる場と、
実現するべくサポートをして、
最期まで寄り添ってくれる存在は
あって欲しいと思う。
見守る側と、見守られる側によって
どうあって欲しいか、どうありたいかは違ってくるから難しいと思うけど、
例え辛くても、見守る側は、
見守られる側の気持ちを尊重して欲しいなと思う。
生きられる為の治療があって、
それを本人も強く望むのなら、
本人が辛くて本来の状態ではなくなっても、しっかり見守る事が必要だし、
見守る側が
自分を犠牲にして共に苦しむのではなく、
見守る側も自分自身を大切にする事が、
見守られる側を尊重する事にもなる。
私はそう思うし、そうあって欲しいと思う。
この国の独特な感じ?というか、
我慢したり犠牲になる事が美しい
みたいな空気感を感じるし、
私もそんな風にいつの間にか染まっていたような、しみついていたような、
“べき”とか“しなければ”に縛られてきた気はする。
だから、
例えば家族が病気なら、
家族がみなければならないとか、
自分1人が良い思いや
楽な思いをしたら
申し訳ないとか、
そんな風に思ってがんじがらめになってしまう気がするけど、
見守られる側としては、
それはそれとして自分自身を大切にして欲しいし、
見守られる側の犠牲にはなって欲しくないという気持ちがあると思うから、
お互いに想い合う気持ちはあるのに、
それがすれ違ってしまって、
各々が違う方向で押し付けあってしまうような?
そんな勿体ない事になってしまう気がする。
緩和ケアって、
治療が出来ないから、ただ死を待つ為のものではなくて、
治療法がないにしても、痛みに振り回されて我を失う事なく痛みをコントロールしたり、自分らしくある為のものだと思うし、
私がそうなったら、
是非とも頼りたいし、
可能であれば、私も何かしら携われたらとさえ思う。
民間のカウンセラーの資格しかないし、
何が必要なのかはわからないけど、
そこそこの人生経験は…
それでも、まだまだひよっこで、
携われる立場には及ばないだろうけど。
ずーっと前に働いていた介護施設に
仲良しのおじいちゃんが居て、
辞めてからも時々会いに行ったりしていたけど、
最期は大腸ガンで下血したり、
苦しんでいたと、元同僚が教えてくれた事があった。
その時に印象的だったのが、
“最期までタバコが吸いたいって言っていた”
という言葉だった。
吸わせてあげたら良かったのに…
というのが正直な私の気持ち。
したい事を我慢して、少しでも生き永らえる事は、果たして誰の為なのか?と思うから。
本人が少しでも生きたいからと、
自ら我慢するのならいいと思うけど、
したい事を我慢して生きて、
それで終わって良かったのかな?と。
見守る側からすると、
どんな姿であろうとこの世に居て欲しいと思うから、
タバコなんか吸っちゃダメ❗️とか、
少しでも生きられるように禁止事項ばかり言ってしまうけど、
見守られる側は?
例え、命が短くなるにしても
好きな物を食べたり、したり、
行ったりしたいものではないのか…。
少なくとも私はそうしたいなと思うようになった。
見守る側、見守られる側、
どちらともを自分が経験して。
したい事をして、その事で苦しむような事があっても、
それでも本人がしたいのなら、
させてあげる事が本人の為のような。
何でもひとくくりにして、
これは決まりだから出来ませんとか、
そういうのではなくて、
こういう状態だから、決まりはこうだけど、こうしましょう。みたいな、
臨機応変の
極みみたいな場があって、
そんな場所での緩和ケアがあるとしたら、
私は絶対そこを使いたい。
私はALSになった家族を失った。
その時に、とにかくこの世に存在していて欲しくて、
どんな姿でも家族だよと言った事があったけど、
本人は呼吸器はつけずに終える事を望んだから、それを受け入れるのは酷く辛かった。
でも、それが本人の意志だったから
受け入れて見送った。
忍耐強い人だったけど、
真綿で首を絞められるような辛さだと記していた。
もし、臨機応変の極みみたいな緩和ケアの場があるとしたら、
今の私なら、その家族にその場を勧めたかもしれない。
最期まで自分らしく、
大事な人も大事な人らしく居る為には、
きっと必要だと思う。
我慢や犠牲は美徳ではない。
毒でしかないと思う。
お互いを尊重する為には、
お互いが自分自身をまず大切にする事が必要。
出来ない事や大変な事は、
出来る人に助けてと言っていい。
任せてもいい。
それでいい。
悪いことではない。
基本、介護などは他人に任せた方がいいと私は思う。
結構介護に携わってきた私はそう思う。
家族だからこそ難しい事はある。
家族だからこそ頼めなかったり
遠慮したりする事もある。
ある意味他人の方が手厚くしてくれるし、頼みやすい所はあると思う。
在宅でネグレクト状態の利用者さんも居たから、
家族だから良い
とは限らないと感じた。
家族だから、むしろないがしろにされてしまったり。
色々見てきたけど、
施設に居た方が安心かもね
と感じる状況も多々あったのは事実。
家族って何?ひっでーなー。
って。
だから私は、
家族だからとか、血の繋がり云々より、
どう共に時間を過ごすかの方が大切に思う。
多分、

との絆の方が



ずーーーーーーーっと濃い
とさえ思う。
緩和ケアが もっともっと充実して、
◯◯だからと縛られる事なく、
最期までその人間らしく、
尊重されるものになって欲しいと思う。