備品の管理をして欲しいと思ってしまう。

明らかにカビくさい洗濯機。
今、私が洗濯槽の掃除をしている。

“私はそんなに使っていないから”
多分、こんな考えで居るのだろう。

私はそんなに出していないから…と、
普通ゴミは自分の部屋のものだけ出す。
生ゴミなんかは、こっちが捨てる事になる。

プラスチックゴミもそう。

掃除機がけも、共用部分は私がしている。
DQ母親は、自分の所しかしない。

唯一率先してするのは、ビンカンなどのゴミ。
これは、明らかにゴミを出しているから。

このことから、おそらく自分がどれくらいの量のゴミを出していて、
そのゴミの量が、私たちのゴミの量と比較してどうなのかという事から判断するのだと思う。

私なら、
例えるのも嫌だけど…、
もし子どもがハンデを負ってしまって
大変そうにしていたら、
助けてあげたいと思うから、

もし今の私が自分の子どもだとしたら、ゴミ出しにしても、行くよ?と言って、行動すると思う。

私の場合、過剰に手出しをしてしまいそうだけど、
じゃあ、私のDQ母親が、私の自立を妨げまいといった考えなどを元に行動しているのかと言えば、それは違うと思う。

これまでを見てきて、
そこまで考えられる頭はないと思うし、
ただ単に、これまでの私への強い嫉妬心から、ハンデを負った私へのマウントをとっていて、
もう私に対して、助けたいといった気持ちは微塵も感じられないし、ないと思う。

もう、母親ではなく、単に1人の人間として、嫉妬心からの反逆に出ているようにしか思えない。

もはや、人間というよりも、動物的だと思う。

感情が、あまりにも幼稚で、
私のラブラブしっぽフリフリラブラブの方がよっぽど感情があって賢いとさえ思う。

“オーラの泉”が好きで、
江原さんのお話を興味深く読んだりもしていて、スピリチュアルで言うと、
親も選んで産まれてきたという事のようで…

そうだとすると、私は産まれる前から、
随分と攻めていて、攻めすぎだろ?と思う現状。
そんじょそこらの、
よわっチィ男には負けないつもりだけど、
現状は、さすがにキツい。
攻めすぎだ。勘弁だ。

もっともっと大変な人からすれば、
私はまだまだ甘っちょろい、
恵まれた状況に居る人間なのだろうけど、

現状の私にはキツい。
弱音を吐くのは嫌いだけど、キツい。

まだ光が見えないし。
“明けない夜はない”と、夜勤をしていた頃はよく思ったものだし、
そうなのだろうけど…

苦しい夜は、やけに長く感じる。

同じ空間に居たくない人間と居る事の
精神的負担の大きさ。

日々溜まっていくストレス。

これまでも、細かい事は、全部私が地味にしてきたのに、何も気付いていない。
相変わらずのお◯◯ぶりだ。

盛りだくさん。
お腹一杯、もう結構でーす。

でも、
それでも頑張らねばニヤリ