痛かったなー。
ビリビリして嫌だった。

術後、まさか今みたいになるなんて。
思ってもみなかった。

↓圧迫中。何時間かこのままだった。

↓検査後  
 この内出血、どれ位でおさまったっけか…覚えていない。

この後の手術で、
前の私が死んだ。

こうなるとも知らずに、
今思うとノンキだったな。
どこか、他人事みたいで、
元に戻れると思っていた。

ば~かニヤリと言いたい、
あの時の自分に。

担当医は、しっかりリスクまで説明しなかったし、腫瘍の場所や大きさの説明もしなかった。

違う病院で、違う先生が担当だったら
こうならなかったのかな。
ドクターXの大門未知子先生や
JIN-仁-の南方仁先生だったら…
なんて、しょうもない事を考えてしまう。

時、すでに遅し。なのに。

何でもなく歩けるって、
どんな感覚だっけ。

めまいのない世界って、
どんなんだっけ。

もう、前のような日が来る事はないだろうな。
改善するかしないか、わからないって言われているけど。

脳は、まだ未知の世界だからなのかな。
奇跡的に、良くなれれば嬉しいけど…、

希望があるようで、ないような。
ぬか喜びのような。

希望があるのは有り難いと思うべき事なのだろうけど、
だからこそ、処分するにしきれない物もあったりで、
非常~にとまどう。

前、履いていたブーツとか。
今でも履けなくもないけど、
間違いなく、履くのが大変。
靴の脱ぎ履きが必要な所には、まず履いていけない。

服もそう。
丈が長かったり、ピラピラすると、
杖に引っ掛かって邪魔で仕方ないというか、危ないから着る事が出来ない。

ちょっとよそ行きの服も、着ればいいのだけど、

誰も見ていないし、
“そんなにめかしこんでどうするの?”
なんて、思われたら嫌だな

とか、着飾っても仕方ないという思考に至ってしまう。

自分の中で、“障害者としての諦め”
が、先に立ってしまう。
気持ちが負けてしまうというか。
いつのまにか定着している、この恐ろしい

泣き寝入りの感じ、諦め

障害者だから仕方ない、我慢しよう

なんて、いつのまにか根深い所に植えついているのかも、殆どの人に。

だから、ハンデ持ちの人々の声が
ピックアップされる事もなく、
一向に変わらず、
ノーマライゼーションとか、
言葉だけが独り歩きするのかな。

バリアフリーは有り難い。
スロープも助かる。
トイレだって、ハンデ持ちに向けたものもあって、時には私もお借りするし、助かる。

ハンデ持ちにとって、
本当に必要不可欠な施設だったり
設備だったりが、

難なく動ける人間の“便利さ優先の為”に
使われたりしている現状。
よくみかける。

スロープにしても、
自転車で走ったり、

トイレを違う目的で使ったり。
ハロウィンの着替えに使ったりだとか、etc…?

意識は全然伴っていない。
全く。異次元の、自分には全く関係ない事だと思っているとしか思えない。

バリアフリーなど、
形だけでも進んでいくのは有り難い。
でも、人々の気持ちも伴っていかないと、
一向に風向きは変わりはしないと思う。

いつか、大事な人が私と同じ、苦々しい思いをしながら、
生きにくいと感じて、
生きるのに疲れた…と思いながら、
それでも生きていかなければならなくなるかもしれない。

医療技術が進歩している現代は、
命をとりとめたとしても、ハンデと共に生きなければならなくなる事の方が多いのでは…。



大事な人がそんな状況になる事の方が辛いから、自分がなるよりも。
自分がひどいめにあった方が、よっぽどいい。そう思う。




後ろ向きな気持ちではなく、
多分私は死ぬまでこのままだろうと思う。

ハンバーガーをガブッと食べて、
あははと大きな口をあけて笑いたいな。

マヒ側のまぶたにメイクをして、
まつげにマスカラをぬりたい。



私が、まともに両まぶたを閉じられる日は旅立った時で、私がそれを自覚する事はないだろう。

せめて、顔面神経麻痺が治ってくれれば、まだメイクで気分を変えたり出来るのだけど。

来たらいいのに、そんな日が。

出来ない事ではなく、今出来ていることに目を向けて、感謝するように…
とか言われるけど、

中々難しいよ、こんな状態では。
わかるけど、そりゃーそうなんだろうけど。

常に頭が、目が、グルングルン回った状態で、そんな事出来るかぃ。
わかっちゃいるけど、実際出来やしない。

やってみ?
私と同じ事も、出来るんか?
この状態で。
全部やってみろや。と思ってしまう。

何個も背負った後遺症。
これは、キツい。

逃れられない、無限の苦しみ…ループ。
そして、DQNからも逃れられない。
更に、ループ。
あっちもこっちもDQN…

きっつー。
勘弁っすわ。
もう、お腹一杯っす。