自動で掃除をする機能がついたエアコンだけど、ずっとタイマーが点滅していて、
調べたら、掃除機能に何かあると点滅するらしく?
コンセントを抜いて、時間をおくと、
解消する…みたいな事のようだったから、
一度子どもに頼んでコンセントを抜いて貰って、またさして貰ったけど、
解消したかと思いきや、わりとすぐに点滅しだしてしまった。
何とか工夫をして、フィルター掃除をしたら、解消出来るかな…と思って、
めちゃくちゃ慎重に、イスから転げおちないように気をつけながら、
壁に頼りながら、エアコンのパネル部分を開けようとしたけど、
ここからして、容易ではなかった…
開けるのも、かなり大変だった。
もー、汗だくになった

やっと開けられたと思ったら、結構上部にあるものだから、
中が見えやしない。
脚立でも使わないと見えない上部。
脚立は、更にハードルが高くなるというか、私には無理だろうな…。
結局、フィルターも何もみえなくて、
ハンディモップで適当にワサワサほじって、本体の周辺もワサワサして、
コンセントも、かなり上部にあるから、中々グッと差し込めなくて、
ハンガーでゴンゴンしてみたり…
でも、そんな事ではしっかり入らず、
何とか、何回かに分けて腕を最大限にのばして、差し込めた。
どれだけ時間がかかったのか…
こんなにも大変なのかと、ガッカリした。
こんな事では、電球交換なんて出来やしないじゃないか。
どうするんだ、これから。
子どもが自立しても、1人で何とか出来るようにしたいけど…。
だって、いちいち呼ぶとか、嫌だ…
子どもの負担になりたくない。
今、出来ない事がこれだけ多いのに、
加齢に伴って、私はどうなっていってしまうのだろうか…。
要介護認定を受けて、
ゆくゆくはヘルパーさんにお世話になるようかしら…

仕方ない事だけど、気持ちがついていかないだろうな…。
でも、ある意味、突然動けなくなったりの方が、まだ諦めがつくのかも。なんていう考えも出てきた。
それなりに動ける中で、
緩やかに出来なくなっていくと、
気持ちはまだまだ出来る気でいてしまうし、
実際には、確実に衰えて出来なくなっているのに、その事にも気づけないから、
若い者にはまだまだ負けんわ…
なんて事になってしまうのでは。
出来ない事を認めるのって、難しいんだよな。
認めたくない気持ちもわかるけど。
本当に出来ない事でも、どこか出来ない事を認めたくないような気持ちがあるから、
下手に動けたりしていると、
尚更、認めたくない気持ちが勝ってしまうのだろうな。
私は、否が応でも出来ない事は出来ないから、認めざるを得ないのが凄く悔しい。
でも、そうでもないと、認めたくなくて、みっともなくもがき続けてしまうのかなとも思うと、
私には必要な事だったのかも。などと思ったりする。
自分の限界とか、出来る出来ないを
きちんと分かっている人が、
人間的に魅力的なのでは…と思うようになった。
こうなりたくなかったけど、
こうならなければわからない事もたくさんあって、
それはそれで、
難なく動ける人には得られない事を得られる機会ではあるけど、
やっぱりどうしても、
キツイし、しんどい。
それでも、退院当初から考えると、別人のように動けている。
考え方も、結構変わったというか、
薄っぺらい思考にとらわれ続けていた事に気づいて、とても悔やまれる。
勿体なかった、これまでの時間。
でも、その事に気づけて、やっと進み出した気がする。
前の自分より、今の自分の方が、まだ好感が持てる。
基本的に、自分が嫌いだけど。
こうなったのは、物凄く屈辱的で、
嫌でしかないし、絶対になりたくなかったけど、
こうなっても、一応1通りの事をこなせている自分は、
頑張っていると思うし、
よくやっていると思える。
初めて自分を誉めているかも。
難なく動けて、色々な事を面倒がったりしている人に、
この体を体感させてやりたい。
5分と持つだろうか。
きっと、
現状がどれだけ有り難いか、
体が動く事がどれだけ有り難いか、
身にしみるだろう。
当たり前な事なんて、
何もない。
先々、子どもに必要以上の負担をかける事のないよう、ここはもがこう。
筋トレとかして、動けなくならないように努力して。
でも、どうしても出来ない事は、
時々頼んじゃおう

本当~に、たまに。