目は覚めたものの、嘔吐ばかりだった事が強烈に記憶にあって…その他、どうやって過ごしていたのかが、ほぼ記憶にない…

部屋が変わっていた事、
食欲などわかなかった事、
顔が半分動かないから、口をゆすぐにも、ピューピュー横から出てきてしまう事(噴水みたいに⛲️)、
頭を動かすと、酷くめまいがする事…なんかは、覚えている。
顔が半分動かない事をしっかり自覚したのは、いつだったのか…リハビリの時に鏡を見たりしていたけど、どうだったのか…放心状態だったのかな

食事は配膳して貰えたけど、トイレや入浴は車椅子で連れて行って貰っていた。
バランス機能がブッ壊れちゃったから
、常に目が回っているような感じ


ベッドから車椅子にうつるのも、スムーズにいかなかった。
リハビリは、大体決まった時間に行っていたけど、年配者が多い中、並んでリハビリをするのがとても嫌だった。
まだ、私はそこまでの年じゃないのにという気持ちがあったから。
朝っぱらからリハビリに行く事もあって、脳外科の患者を朝っぱらから動かさないでくれ…
と、思っていた。

わりと、食後間もないから、嘔吐しやしないかと、ヒヤヒヤしたし。
はやければ、10日で退院と言われていた入院期間が、ふた月弱にまで延びた。
今の担当医は、「この腫瘍の場所で、後遺症は免れない。」と言っていたのに、一体何なんだ?10日って、どこから出てきた数字?
元の担当医は、退院後間もなく移動したから、理由は聞けない。
今更聞いても何にもならないけど、
インフォームドコンセント、ちゃんとしてよね。考え得る事、ちゃんと伝えてよね。と思う。
私と同じような思いをする人がいなくなるように。
私の腫瘍の場所だと、大概が呼吸停止した状態で搬送されてくるらしい。
同じような腫瘍の場所で、手術は成功したけど、その後旅立たれた方も居たという話も聞いた。
そんな話を聞けば、まだ運が良かったのかも?なんて思うけど、
いくつもの後遺症を抱える現状を考えると、
果たして運が良かったと言えるのか?と、思わずにはいられない。
死期が近いと思うと、生にしがみつきたくなる。
生きていられると思うと、耐え難い事で死を望んだりする。
人間、無い物ねだり…きっと、ずっとそうなのだろう。
自分の為には踏ん張れないけど、大事な子どもと
の為に、母ちゃんは進む。

キツイし、辛いけど。
進む。