夫とテレビをみていて
スケートの安藤美姫さんが食レポで入った食堂で
隣の席の人から
「現役時代は、素敵な演技をありがとうございました」と声をかけられたシーンで
夫が「へぇー。「ありがとうございました。」なんて言うんだぁー。」とくいついた。
「ありがとうって・・・言う?変じゃない?感動しましたとかならわかるけど。」って。
私「え。おかしくないよ。WBCやサッカーとかオリンピックでも「感動をありがとう!」とか言うじゃん」
夫「あれは、テレビの見出しでしょ。スタジアムとかで「感動をありがとう!!」なんて言ってる人はそういうことを言う自分に感動してんじゃない?」
誤解があるといけないので書き加えるますと
夫は決して冷たい人でも、偉そうな人でもありません。
私「え!感動をありがとうって思うじゃん!この前とかのWBCとかさ、すごく楽しませてもらって、選手とかにワクワクさせてもらってありがとうって私思ったよ。」
夫「ワクワクして楽しかったなぁー。面白かった!選手の事すごいなぁー!!とは思ったけど、ありがとうとは思わなかったよ。それが仕事だし。無理に出てもらったわけじゃないし。」
「Liveとか行ってさぁー。ありがとう!最高!って思わない?」
「最高!とは思うけど演者にありがとうって思うの?ないなぁー。」
いや、娘なら SnowManのメンバーに
生まれてきてくれてありがとう!とすら思ってるよ。
そもそも、ありがとうとは何だ
ありがとう(有難う):有ることが難しい
対義語は「当たり前」
夫の考えでいうと選手が一生懸命プレイする事は、
有難うではなく、むしろ反対の当たり前の感覚なのか。
それを頭で考えて、「いや、それは有難うじゃないんだよ!」って言うんでは無くて、思考回路がそうなってるから有難うが浮かばないというか、ピンとこないようだ。
食事の前に「頂きます」
食事終わりに「ごちそうさま」って言わない夫に
「親にさ、頂きます!ごちそうさま!って教えてもらってないの?」と嫌味を言った事がある。
そうすると、そんな習慣ないなぁー。と、言いながら
その日だけは「いただきます。」って言うけど、
食べ終える頃にはもうそんな事忘れてるから「ごちそうさま」は出てこない。
空のお弁当箱も ぽんって置くので
「ごちそうさまって置いたらどう?」って嫌味を言ってみると、心のこもってない「ごちそうさま」を言って置くようになった。これは、ごちそうさま=ここに置いとくね。だ。
食事やお弁当は夫にとっては日常で、当たり前だから、有難う、頂きます、ごちそうさまが出てこないのか。
夫と外で食事をする。
会計を終えて出るとき
私「ごちそうさまでした。」ってお店の人に言う。
夫は無言。
たまに、知り合いとかのお店だと「ごちそうさまでした」って言うけど、これは「さようなら。また来ます。」の「ごちそうさま」だ。
私「お店の人にさ、ごちそうさま。作ってくれて有難うって思うじゃん?」って聞いてみたら
夫「上手だなとか美味しいなとは思うけど、作ってくれてありがとうとは思わないよ。仕事だし、お金払ってるじゃん。タダで食べさせてもらったなら思うけど。」
食事を作ってもらう→お金を払うは「当たり前」で
有難うではない。という思考回路。
ふーん
ま、これは生まれ持ったものだから、
いや育った環境か?とにかく無意識での事なので
夫が悪いわけでもないが。
私「でもさ、誤解されやすいから、ありがとうって思ってなくても外では「ありがとう」のふりはした方がいいよ。」
夫「うん。前にさ言われてから、お客さんのとこで珈琲出してもらったら「ありがとうございます。」って言うようにしてる。」
あ、私が以前受付をしていた時に、お客様にコーヒーを出したら帰り際に「コーヒーごちそうさまでした。」って言われてすごーーーく感動した話を夫にしたなぁー、かれこれかなり前に。
「てか、珈琲出してもらってありがとうって思わないのかい?」
「うん。本当は特に思わない。その人が、気を利かせてとか親切に出してくれてるわけじゃなく、マニュアルというかそれが仕事で出してる事だからかな?特に考えた事ないけど。多分、人の家で出してもらったら思う。」
あ、だから私が珈琲をいれても
ありがとうはないのか。
私「ねーねー ひとつ聞くが、私が子供産んだ時にさぁー、よく頑張ったねー!とかお疲れ様とか言ってくれてたけどさぁー。「オレの子供を産んでくれて有難う!!」とは言わなかったけど、それもかい?」
夫「覚えてないし、そんな事考えてもないけど、オレの子供を産んでくれて有難う!っていう感覚かぁー。どうかなぁー。あるっちゃあるけど、俺が産めるのに◯◯ちゃんが代わりに産んでくれたわけでもないからなぁー。役割だからなぁー。俺だけの子供じゃ無いし?うーんどーだろう?いや、でもありがとうって思って思ったと思うよ。多分」って。
これでいうと、妻が自分の子供を出産するのは有難うではなく、当たり前みたいだ。
産める、産めないの論議ではなくて、あくまでも産む作業がの話。だって私が産むしかないのだからって感じ。
ここまで話して
加藤浩次ばりに
「普通の事って当たり前じゃないからな」って言おうとしたけど
これって人の感情の問題だから、他人に言われたからって感情は湧いてこないだろうからやめた。
そんな夫婦の会話の後、お風呂に入りふと気づく。
夫は、自分が何かしても
俺がしたぞ!とか、感謝してる?とかいうのも一切ない。
無理してまでは特別に何かしようとはあまりしないけど、自分が出来ることならなーんとも思わなく当たり前のようにする。
それが私から見たらとっても大変そうな事に見えて、有難う!!って思うことでも。
出来る事をするのは当たりだから、有難うはいらないみたい。
ま、そんな事もなーんにも考えて無い人だ。
私の買い物に付き合って、重いものをずっと持ってくれてても、持ってあげなくちゃ、とか持ってあげたぞ!ではなく、力が強い方が持つのが当たり前だから、なーんも思わず持つ。
働いてお給料を持って帰っても、俺が稼いだ感はなく、そのお金は自分のものを家族に分け与えてるという意識は微塵もない。これも夫の当たり前だから。
仕事に行くのが嫌だと言ったことも素振りも1度もない。
逆に私が働いてる事に関しては、あまり賛成では無い節はあるにも関わらず、「働いてくれて助かるな。有難う。」と思っているし、それらしい事を言う。
私のお給料を家計に入れるわけでもなく、私が独り占めしているのに不思議だ。
これでいうと、私がお金を稼ぐ事は当たり前ではないから、有難うなのか。
それに関して以前聞いてみた事がある。
「家計に入れてる入れてないではなく、◯◯ちゃんのお小遣いにしていても、本来家計から出費する物をそこで賄ってくれてるわけだから有難うじゃん。」
らしい。
私が家事をする事に、感謝をしていないように見えていた。
それって見えていたんじゃなくて、やっぱり感謝してないんだ。
夫にしたら。自分が働きにでるのと同じで、当たり前の事。
私は、普段ならこう思うとイラッとするけど、今回夫の思考回路を考えてみたら イラッとするのとは違う感情になった。
一貫してるから
やっぱこの感覚っていうのは、私からしてみたは独特だけど、夫にしたら普通の事。
(有難う)−(当たり前)=Aとすると
Aの数値は、私も夫も同じだ。
今まで あれ?って思うことがチラホラあったけど
やり過ごしていた事が、今回整理されて
腑に落ちた。というか、自分の中で立ち止まらなくて良くなった気がする。
上手に文章で整理は出来てないけど
頭の中はスッキリした。
千鳥の相席食堂をみて
こんな事を感じるなんて