10月25日午前8時01分

母は天に召しました


3人の息子を学校に行かすため仕度に

ちょっと慌しかった朝に1本の電話


着信番号は「03」・・・・東京だ

緊張と動揺・・・ドキドキしながら電話に出ると

母の意識が無くなったのですぐに来てくださいとの事

7時33分の電話


急いで学校へ欠席の電話

叔父への連絡

なかなか繋がらない弟と研修に行ったと思われる主人への連絡

どうしよう、先に子ども連れて通勤ラッシュの中東京へ向かうか

もう少し頑張って連絡とって車で主人と向かうか・・・・

どうしようどうしよう・・・・すがる思いで主人の会社に連絡→現場に連絡

なかなか主人からかかってこない・・・・


出かける仕度しながら携帯が鳴る

着信は「03」・・・・

「先ほど8時01分心肺停止 確認させていただきました」

「えっ・・・・・・・わかりました」


連絡がつき、帰宅した主人と家族で病院へ向かう

主治医からの説明

「昨晩夜中酸素吸入が低く、寝苦しく2時まで起きてらっしゃいました

色々処置を取っておりました所、体制を変えてくださいとの要望に応えました

最後の言葉は「楽になりました」とおっしゃった後意識が無くなりまして・・・・」


その言葉を聞いて私は目頭と鼻の奥の方がぐっと熱くなるのを感じました


母の体拭きとエンジェルメイクに立ち会いました

たくも立ち会いました

冷たくなった母の手を・・・細くなった体を拭きました

少しでも最後キレイな母を、元気な頃の母を皆に想いだしていただきたいと

頬にチークも入れました


胸がグッと締め付けられながら病室の荷物をバックに詰めました




そして、お通夜には母のお稽古でお世話になった仕舞の仲間、

第九仲間の合唱団メンバー、勤めていた頃の同期、高校の同級生

父の頃よりお世話になっている会社関係の方

たくさんの方が足を運んでくださいました


告別式にも弟の会社関係、私のパート先のチーフ

昨日も足を運んでくださった方々・・・・本当に感謝です


会場にボードを置き、母の若い頃や元気の頃の写真を沢山貼りました

皆さんに喜んでいただけたようで良かったです

どうぞ明るい元気な母をいつまでも忘れないでください


母の骨は病気だからでしょうか・・・うっすらピンクがかっていました


この横浜の家に母も連れて帰ってきました

一ヶ月ほど一緒に過ごした後

父も眠る墓に納骨したいと思います



最後に、コメントにて私を励ましてくださった方々

本当にありがとうございます

両親居なくなり、弟としっかりしなきゃ!と思いつつも

ポッカリ胸に穴が空いたような気持ちでした


でも、私には家族も、そしてここでお知り合いになれた

方々も居るのだと感謝の気持ちに勇気を頂きました


今回滞りなく母を見送る儀が終われましたのも

主人の支えと皆様の温かい見守りの賜物と思っております


この場を借りましてお礼申し上げます

ありがとうございました