広瀬淳二、中村としまる、芳垣安洋、2010年3月3日、キッド・アイラック・アート・ホール | ジョン・コルトレーン John Coltrane

広瀬淳二、中村としまる、芳垣安洋、2010年3月3日、キッド・アイラック・アート・ホール


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去る3月3日、明大前のキッド・アイラック・アート・ホール広瀬淳二中村としまる芳垣安洋による「演奏」を聴いてきた。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-出し物の看板




ジョン・コルトレーン John Coltrane-広瀬淳二、中村としまる、芳垣安洋
広瀬淳二 (SSI-4, SSI-5, SSI-6)
中村としまる (no-input mixing board)
芳垣安洋 (perc)



ジョン・コルトレーン John Coltrane-1st set - a ジョン・コルトレーン John Coltrane-1st set - b
1st set



ジョン・コルトレーン John Coltrane-2nd set - a ジョン・コルトレーン John Coltrane-2nd set - b
2nd set



三者三様の装置(楽器)が生み出す様々なノイズによる即興。


「ノイズ」、といっても極端な爆音が持続したり、逆に極端な微弱音が延々と続くというようなことはなく、程良い持続、音量の増減、場面の転換があって全く退屈せず、芳垣がリズムを刻み、音量と速度が上がるシーンなどは或る意味スペクタクルというか、ドラマティックでさえあったし、広瀬と芳垣の音を生み出す動作を目で追うのも楽しく、全く手元が見えない中村の「演奏」風景との対照も面白かった。


どのような価値観によって音が選ばれ、どのような音楽的コンテクストに位置付けらるのか、ほとんど理解できていないのだが、ノイズに対する嗜好もあって、かなり楽しめた。


また、通常のライヴ・ハウスと違って桁外れに天井が高いキッド・アイラックという特別な空間が生み出す音響効果も興味深かった。客席にではなく、上に向けて置かれた中村のスピーカーから文字通りノイズが高い天井へと立ち昇っていく様を、バカ丸出しで顔を仰向けて思わず追ってしまったのだった。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-キッド・アイラック・アート・ホールの天井




広瀬の SSI は自作のノイズ・マシーンで、selfmade sound instrument の略。この日は4号機、5号機、6号機の3つを使用。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-広瀬淳二、自作ノイズマシーン
左がSSI-4、右がSSI-5とSSI-6


SSI-4 は枝分かれした金属の支柱にチューブを外した自転車の車輪を2つ取り付けたもので、その外周を様々な素材の小物で擦り、その音をピックアップで拾い、アンプで増幅する仕組みになっている。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-SSI-4を両手で小型シンバル
広瀬淳二
SSI-4を両手で小型シンバル



車輪の外周を擦るのが基本だが、他に支柱そのもの、及び支柱に据えられた発泡スチロールを棒で擦ったり叩いたり、支柱に張られたバンドやバネを擦ったり叩いたりといった操作でも音を出す。


さらに今回は大型のスプリングにフットペダルに取り付けられたマッサージ器を接触させてノイズを発生させる拡張部分も加えられていた。


SSI-5 は長さと太さの異なる7本の塩化ビニール・パイプ、SSI-6 は凹凸の付いた蛇腹のドレン・ホース、或いはダクト・ホースに大きいドライヤーのような送風機で風を吹き込むことで音を発生させる。特に粗い肌理の SSI-6 のサウンドが強烈。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-SSI-5 ジョン・コルトレーン John Coltrane-SSI-6
左がSSI-5、右がSSI-6



これらの物の発する音が主役で、演奏主体・表現主体は沈黙している…というと言い過ぎで、というのも、例えば車輪を擦る角度や強度、スピード、擦る道具の変更といった主体的関与によって音の表情は微妙に、また時には大きく変化するからで、だからこの場合、演奏主体・表現主体は後景に退き、これらノイズ・マシーンをして語らせる操作の主体が前景に出ている、と言えばいいだろうか。


例えばゼンマイ仕掛けの蟹の玩具やピン部分を自作したオルゴールなどの自動演奏では演奏主体の関与の希薄さが一層顕著になる。


予めある何らかの音楽的構想をリアライズするための装置というよりは、物そのものの発する音の肌理、肌触りを前提として、出発点として演奏を進める装置、という風に取り敢えず考えてみる。


しかし物の発する音は車輪のスポーク部分や支柱に共鳴し、それがさらにアンプで増幅されているわけで、物そのものの音ではなくて、正確にはノイズとして際立たせられた SSI そのものの音、と言わなければならないのだが(めんどくさい。汗)。


そんなわけで SSI においては演奏主体の在り方がテナー・サックスを普通に吹く時とは大分異なっている。確かに、あからさまなフリー・ジャズの語法によって初期衝動を解放するかのような激しいテナーのブローと、淡々とした SSI の操作がもたらす音の隔たりは歴然としている。


だが他方で、広瀬のテナーには、特にテナー・ソロの場合にはっきりするのだが、演奏主体の全面的な関与により高度な技術を投入してレディメイドのノイズ・マシーンとしてのテナー・サックスが発する音(ノイズ)そのものをして物を言わせている、と受け取られるタイプの演奏(*)があって、そこにはやはり演奏者の情念やら意図するイメージやら意味やらが入り込む余地はなく、つまり演奏主体は能弁に沈黙しているといった撞着語法を使ってみたくなるような演奏もあるので、その辺は SSI の「演奏」と通底しているのかも知れない。


(*)この系列の即興には他に、ロング・トーンの反復をベースに、息を吹き込む音をメインにした弱音での即興などがある。次回のテナー・サックスによるソロは、6月24日(水)、なってるハウス。




中村が操作するのは外部音源を入力していないオーディオ・ミキサーで、この音響機器自体が発する音を起点に即興―だが詳しい仕組みはよく分からない。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-中村としまる
中村としまる
手元は全く見えないのだが、しばしば顔の向きを変え、
視線を広瀬や芳垣の方に向けてじっと耳を傾ける、
というような動作が見られた。



広瀬の SSI が物と物が触れ合って発するノイズであるのに対して、中村の場合は様々な電気的なノイズ。波打ち、脈打ち、また泡立ち、唸る様々なノイズ、ざらついた地鳴りのような低音や澄んだ高音のノイズがしばしば持続してバックグラウンドを成す。そして寸断されたノイズや短いあからさまな電子音が時に挿入されて動きを形成する。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-no-input mixing board
ノー‐インプット・ミキシング・ボード
近くで撮ったからといって、
なにかが明らかになるわけではないのだが…一応。
初めて聴くタイプの即興に感銘。



これらのノイズを「いい音だ」「気持ちいい」「面白い」と感じ取っては筋違いなのだろうか。中村がどういう経緯を辿って現在の「演奏」「即興」に至ったのかをほとんど分かっていないので判断がつかない。「A Paragon of Beauty」(こんなのやってたんだ!)を入手し、またオフ・サイトでのライヴ等、入手可能なものをぼちぼち取り寄せて勉強しております。




芳垣はいくつかのサイズの異なる金属製のボール、仏具の鈴(? 「りん」「れい」)、鉄の球、小振りのシンバル等々を床に直に並べ、フラットな金属製の円盤(シンバルのようなカップも傾斜もついていない)、湾曲した金属板等をスタンドに据え、そして椅子に乗せられたスネアで「音を出す」。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-芳垣安洋―ボールの縁をアルコ弾き
芳垣安洋
ボールの縁をアルコ弾きして軋るサウンドを出す。


短いマレットで金属の円盤やスネアを叩いて明確にリズムを刻むシーンもあったので、確かに「パーカッション」には違いない。また動作と音の因果関係が3人中最も直接的で明快。


しかし、金属板、シンバル様の円盤、そして鉄球をいくつも入れたボールをスネアの上に乗せ、その縁をアルコで弾いてサワリのあるサウンド、或る意味ノイズを発生させるガジェットとしてもしばしば使用しており、効果的だった。パーカッションの範疇を超え出て、触手のようなサウンドを出す小物たちでもあったのだと思う。


スネアのヘッドには細いバネが埋め込まれていたり、その細いバネがスネア上に張り巡らされたり、またスネアがノイズを発生させる「作業台」に化したり、閉じたボールに鉄の球を入れて振ったり…等々、実に多様・多彩なサウンドを生み出す。決して常時派手な音を出していたわけではないのだが、両膝をつき、或いは片膝立てた姿勢になったりと、芳垣は盛んに動いて即興の空間を刺激していた。



ジョン・コルトレーン John Coltrane-ノイズを発生させる道具も兼ねたパーカッション
音を出す道具としては一番明快なのだが、
時に手妻のごとき様相も呈していた。
ランダムな偶発性と繊細なコントロールの両方を兼ね備えて見事。




それぞれに扱う装置・音具の性質が異なった三者の組み合わせが面白かった、のだと思う。


明確な音楽的イメージや音楽的意味が結ばれるわけでは全然ないが、強い喚起力を持った即興、未だ明確な輪郭を得るには至らないが、その生成過程にある音たち?


だが人は結果を求めて即興演奏を聴くだろうか。


うごめきざわめく過程をこそ期待するのではないだろうか…と、取って付けた様なセリフでこの拙いレポートを締め括る。




M.A.S.H. 2010年3月10日、なってるハウス につづく




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