渇望の誘発因子 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

渇望の誘発因子


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コルトレーン、ヘロインを断つ 地獄の目次録

「コルトレーン、ヘロインを断つ」早分かり ♪→ 「これまでのあらすじ」


音楽ジャンキーとしてのジョン・コルトレーンの肖像〈4〉
コルトレーン、ヘロインを断つ その102


1957年春、コルトレーンはヘロインを断った。しかし断薬後も薬物への渇望は何年も執拗に続き、元依存者を再発へと駆り立てるということについてこれまで確認してきた。コルトレーンもまた経験したに違いない、その渇望とはどのようなものなのか、について考えています。


3つの誘発因子

渇望は断薬後の元薬物依存者を絶えず悩ませているわけではない。依存再発の危機をもたらす渇望は、いくつかのきっかけによって突如として引き起こされる。それら誘発因子が引き金となって渇望が生ずることは依存者の自助グループでは当然のことながら経験的に知られており、断薬を継続するための知恵のなかに盛り込まれている。そしてまた、それらの誘発因子による渇望の再燃は神経科学的(脳科学的)な研究によってより詳細な形で裏付けられた。

1.薬物プライミング(drug priming)
依存していた当の薬物、および煙草やアルコールを含む他の依存性薬物の単回(あるいは数回)の少量使用。これを指示する述語が定着していないので苦労します。プライミングは点火、起爆、呼び水の意。断薬後、僅かな使用量で強い渇望が惹起され、頻繁な使用=依存の再発に雪崩れ込む可能性がある。自助グループの人々が一切の薬物使用をきっぱりと一挙に断つ理由がわかる。実際、禁煙でも本数を漸減させるより成功率が高いと言われている(*)。

(*)久保田競『禁煙で天才能をつくる』p.181-182。だたし、禁断症状がハードなヘロインの場合、漸減投薬やメタドンなど副作用の少ない他の薬物で一時代替させることも一応有効。

2.薬物関連刺激
薬物使用を想起させる注射器やスプーン、コットン・ボールといった単体の刺激、あるいはそれらを想起させるもの、および薬物摂取時の場所・状況等、コンテクストにかかわる視覚や聴覚の刺激。例えば麻薬撲滅キャンペーン・ポスターの注射器だとか喫茶店のグラニュー糖を目にしたり、ジャズマンだったらかつて常用していたクラブのトイレに入ったりすると渇望が生じてしまう。一緒につるんで使用していた交友関係もかかわってくるかもしれない。あるいはヤクの売人に偶然出くわすとか。それから使用時に習慣的に聴いていた音楽とか……etc.

3.精神的・身体的ストレス
ハードなストレス状況が強い渇望を誘発することは薬物依存者のためのリハビリ施設ダルクの人々の例を先に紹介した(*)。および肉体的疲労の蓄積や、怪我や病気で生ずる疼痛など。心身の疲労の蓄積が渇望を誘発するというのは、依存症でなくてもなんとなくわかる気がする。疲れてぐったりするとやっぱ一杯やりたくなる。あるいはそれも軽度の依存なのかも?

(*)「クレイビングの執拗な持続」


これらの誘発因子により、確かに薬物の種類とは関係なく渇望は生じる。だが渇望の発現に関与する脳部位は誘発因子の違いによって異なっており、しかも薬物の種類によってさらに微妙に異なってくる。偉く複雑。以下ヘロインに対する渇望に関与しているとされる責任部位とその神経伝達物質を書き出してみる。

どれだけ多くの箇所がかかわっているかがわかればいいので、一瞥するだけで読まなくてもよいです。そもそもおれ自身、日本語への翻訳で捩れが倍増されちょっと詩的でなくもない名称を持つそれぞれの部位がどのような機能を担っているのかよく分かっておりませんゆえ。

腹側被蓋野→側坐核:シェル、コア(ドーパミンD1受容体)・腹側被蓋野&側坐核(アセチルコリン伝達)/黒質→線条体:尾状核、被殻(ドーパミンD2受容体)/腹側淡蒼球

腹側被蓋野→前帯状回・眼窩前頭皮質・前頭前野背外側部[46野](機能低下。渇望時に活性化。ドーパミンD2受容体)/島皮質(前帯状回・眼窩前頭皮質の活性化と関連)/内側前頭前皮質(ノルアドレナリン作動性神経。)/前頭葉下部(44野、45野)/前辺縁皮質→側坐核(グルタミン酸)

分界条床核、扁桃体・側坐核(コルチコトロピン放出因子[CRF])/外側被蓋ノルアドレナリン神経系→腹側ノルアドレナリン作動性神経束(中心被蓋束 or 腹側NA束)→扁桃体中心核→分界条床核/内側中隔(アセチルコリン)/海馬(?)

扁桃体中心核+分界条床核(ミュー受容体の活性化)/視床下部外側・腹側被蓋野(オレキシン神経の活性化)

(註)人間とラットの研究が一緒くた。(>_<)


その他(まだあんのかよ! 汗!!)、報酬系における内因性カンナビノイド・システムの不活性化、サブスタンスP‐ニューロキニン1受容体(NK1R)システム等々が関与しているらしい。なんだか泣きたくなってくる。しかも当然、これにそれぞれの部位での細胞内のシグナル伝達と遺伝子発現レベルの可塑性といった事象が伴っているわけだ(*)。

(*)参考文献は記事内に収まリ切らないので後に改めて提示します。それだけでほぼ記事1回分になってしまう(汗)。


ジャンキーの唄(神経科学篇)

ヘロインやって
いかれちまった叫び
ジョン・コルトレーンの側坐核(そくざかく)

ヘロイン打って
やられちまった爆弾
ビリー・ホリデイの線条体尾状核(せんじょうたいびじょうかく)

ヘロインやって
どうにもならないドクロ
チャーリー・パーカーの分界条床核(ぶんかいじょうしょうかく)

ヘロやり過ぎて
ドーパミンの枯渇に喘ぐガーン
ジョン・コルトレーンの内側前頭前皮質

前辺縁系からの
グルタミン酸作動性神経に煽られるショック!
コルトレーンの内側部側坐核シェル

せっかくやめたのに
またヘロイン打てとかさ
それらが促す

(失礼しました。 m(_ _)m 息抜き、息抜き。はづかしいので(汗)期間限定にして削除の可能性あり。)


依存形成に中心的な役割を担ういわゆる狭義の報酬系(中脳皮質辺縁系)(*)だけじゃないわけだ。ストレスや薬物に関連づけて記憶された刺激に反応して渇望が生じるのだから、また、ヘロイン(オピオイド類)に固有の報酬効果があるからにはそれに対応する固有の渇望が想定され得るやも知れず(この辺あやふや)、ドーパミン作動性神経系それ自体を越えた領域が関わっているのは当り前といえば当り前なのかも知れない。でもその複雑さにちょっとあっけにとられます。

(*)中脳辺縁ドーパミン経路:腹側被蓋野(A10神経核)→側坐核、および、中脳皮質ドーパミン経路:腹側被蓋野(A10神経核)→前頭前皮質。

2001年に刊行された廣中直行の『人はなぜハマるのか』(岩波科学ライブラリー)は広く依存現象について神経科学の立場から一般向けに概説した本だが、その時点で渇望のメカニズムについての研究は未だ「木を見て森を見ない」状況に近いと認識されていた(p.64-65)。

以後、木の一本一本、さらには枝の一つ一つが精査され、漸く全体の輪郭に目を向け、個々の木の間の相互作用の究明に踏み出した、といったところが現状か。その辺までは素人にもなんとなく当たりがつくが、実際のところどの程度まで解明されているのか、神経科学のエキスパートに本当のところをインタヴューしてみたい気がします。恐らく、こうした神経科学的・薬理学的探求によって、より少ない副作用で、より効率的に渇望を鎮める薬物が見出されていくのだろうし、実際その候補もいくつか挙がっているようだ。

だがしかし、渇望が生じること自体の治療法が確立されたという話は一向に聞かない。薬物によって断薬後の渇望を鎮めることができるのは元薬物使用者にとって一つの救いとなるだろうが、それはあくまでも対症療法に過ぎず、根本的な治癒では全然ない。

そこで神経科学的な研究結果は結局のところ、依存症者の自助グループに伝えられる経験や臨床的には既に確認されていることを追認しているに過ぎない、という考え方も成立し得る。確かにそれは補助的な渇望の鎮静薬の提案・発見ということ以外、直接的に依存者の断薬継続の実践に有用な知見をもたらしているわけではない。

それでも時にカルト・宗教として批判されることがなくもないアルコホリクス・アノニマスやナルコティクス・アノニマスの経験知のいくつかが神経科学的に裏付けられていくことの意義は小さくないように思う。薬物依存の原因が依存者の意志の強さや道徳意識に「のみ」帰せられていた大昔のことに比べれば、神経科学的な知見によって、格段に依存症への認識は改められた(それがどこまで一般に浸透しているかは疑問だけど)。


結局のところ、一旦変わってしまった神経細胞はそう簡単には元に戻せず、恐らく渇望が生じてしまうこと自体を一挙に解決するような治療法は、そう簡単には見つからないのではないか。それ故、元薬物使用者は自助グループへの参加などによって、自主的に断薬を継続する他ない。

もとよりコルトレーンがヘロインを断った時代、依存症の専門家たちは専ら身体依存の現象面に焦点を合わせ、未だ渇望の神経薬理学的な研究は活気を帯びてはいなかったし、一般的に薬物依存は依然「悪癖」と見なされていた。断薬後は医療に頼ることなく個々人で対処する他なかった。ナルコティクス・アノニマスの活動やミーティングもほとんど定着していなかった。

では、断薬後の渇望をコルトレーンはどう自力で切り抜けたのか。ヘロインを断つ前後にコルトレーンに生じた変化はそれと意識してなされたものでは必ずしもないが、3つの渇望誘因にうまく対応していた。それは以後の躍進の先触れであり、自らの意志であり、また啓示でもあった。今一度1957年春の時点に戻ってその対応を確認してみよう。 (つづく)


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