法輪寺三重塔再建と幸田文 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

法輪寺三重塔再建と幸田文


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幸田文と塔(2)


前回(*)は幸田文と塔のかかわりとして、父、幸田露伴の『五重塔』、そして谷中天王寺の五重塔焼失について触れた。今回はその最後、幸田文が名塔の復原に尽力した話。

(*)「幸田文と塔(1)」


3.奈良斑鳩(いかるが)・法輪寺三重塔の再建

谷中の五重塔焼失から8年後の1965年(昭和40年)の夏、文が心のうちにしこりを持ち続けいてることを知っていたある書店に勤める女性により、奈良・法輪寺の三重塔再建の話を耳にする。「ある書店に勤める女性」は岩波書店の秘書、浅見以久子だろうか。 戦争中の1944年(昭和19年)、法輪寺という寺の、築1300年とも言われる国宝の三重塔が落雷で焼失し、それをいま住職が再建しようと心を砕いているという。

たまたま文が岩波書店に用事で出向いた時に、やはり岩波書店へ寄付を願いに訪れていた住職の井上慶覚と出遭った、ということらしい。三重塔焼失の様子、再建の経緯を直接住職から聞いた。

1903年(明治36年)の解体修理の際に作成された図面に基づき、元の飛鳥様式のままに、総檜造りで復原する。設計監理は法隆寺昭和の大修理で知られる竹島卓一工学博士が担当、工匠は法隆寺の宮大工・西岡楢光、その息子常一、楢二郎らと決まっていた。

この三重塔再建の話は文の心のしこりにしみた。なんとか役に立ちたいと、瓦一枚の寄贈から始め、さらには前進座が『五重塔』を上演する際の著作権使用料20万円を寄付、これを機に折々寄進をするようになる。が、ここまでは一寄進者の範囲にとどまっていた。用材の檜が台湾で買い付けられ、乾燥のために半年寝かせたのち、木造りも始まり、再建は順調に進んでいるかのようで、文はもうすっかり塔は建つものだとばかり思って安心し、気持ちは幾分塔から離れた。


ところが1969年(昭和44年)、募金活動を続けていた住職・井上慶覚が肺癌で亡くなり、折柄翌年に万国博覧会を控えて関西地方は空前の建築ブームを迎え、職人達の人件費が急騰、当初の予算では三重塔再建は全く立ち行かない状態に陥っていた。再建の中心的存在を失って、募金も難航していた。


住職・慶覚の訃報を受け、文が塔はどうなったと訊くとまだ建っていないという。そこで急遽法輪寺を訪れた。そして三重塔再建が頓挫した様を目の当りに実感させられる。

人気のない境内に材木小屋から「のみ」の音が淋しく響いていた。西岡楢光老人、長男常一、次男楢二郎のたった三人が木造りする音だった。

檜の良材大材が材木小屋にあたら空しく横たわったまま、塔として建つこともなく眠っており、僅かな工人が半ば奉仕の形で「のみ」を揮う音がさまざまに響く。

この「人の手を主動にした和音」(*)が五感の人、文の心にしみわたり、胸に食い入って、「こうかぁっとしましてね、火がついたようになっちゃったんです。」(**)

(*)『幸田文全集第20巻』p.304「音」1975, 6.
(**)『幸田文全集第22巻』p.334「塔のこと」(講演)1971, 12/20.


これが塔再建に積極的にかかわるきっかけとなった。幸田文この時すでに65歳のおばあちゃん。だが、もういても立ってもいられなくなってしまい、再建の渦中に身を投じた。

まず、既に期限切れになった寄付金に対する免税措置を再度受けるために、文部省・大蔵省といった役所回りの日々が続き、認可が下りれば今度は資金集めで、企業や個人へ寄付を募って回る。

さらに全国を講演して回り、一旦旅に出れば5,6箇所というのはざらだった。帰ってくると着物の裾が切れてよれよれになり、何枚も駄目にしたというほどの強行軍。

不安もあった。始めてしまった限り、目標額に到達しなければすべてが無駄になる。最悪の場合、露伴と暮らした小石川の家と土地までも手放さなければならない。娘玉の前で「すべてを失うかもしれない」と言って泣いたこともあったという(*)。決して半端な肩入れなどではなく、ものを書く人間にとっては畑違いながら、紛れもない本気の「事業」「実業」だったのだ。

(*)『幸田文全集第20巻』月報、p.8(『別巻』付録p.160)


だが、幸いなことに、奮闘の甲斐あって「のみ」の音に触発されてから三年を経た1972年10月8日、漸く鍬入れ(起工式)に漕ぎ着けることができた。

そして1973年6月からは一年間、斑鳩(いかるが)の地に仮住まいして実際に塔が建てられていく過程をつぶさに観察した。投函されなかった棟居愛子宛書簡(*)によると、具体的な塔建設についてルポルタージュを書く心積もりのあったことが窺えるが、同時に、変則的な生活を敢えてしたからといって、必ずしもいいものが書けるとは限らず、「感動」が起こらなければ書けないとも述懐している。

(*)『幸田文全集別巻』p.148-149。1973年(昭和48年)9月21日の日付がある。及び、1973年6月5日「野田宇太郎宛書簡」(別巻、p.147-148)も参照。

残念なことに、結局のところ、法輪寺三重塔の再建を題材にまとまった分量の長編作品は書かれなかった。残されたのは数十編の断片と、奈良滞在中の備忘録とも言うべき4冊のノート『斑鳩の記』のみ。

遡って1971年(昭和46年)6月3日、先代住職・慶覚の息子で再建を引継いだ当時の住職・井上康世宛の書簡では、大工たちに取材して「塔の随筆を毎月書きその稿料を献納」(*)するという計画が明らかにされているのだが、取材は行われたものの、その計画は実行に移されなかった。意欲はあったがそれも書かれずに終わった。何故だろうか。

(*)『別巻』p.141


娘の青木玉は、まず実際に塔を建てること自体が目的で、作品化の余裕がなかったのではないかと推測している。塔再建という実務に忙殺されてしまったということか。

もう一つには、塔の建立そのものの性質ということがあるかも知れない。生活の場ではない、信仰の対象としての塔という建築物の特殊性もさることながら、具体的な建造の過程が持つ性質にもよるのではないか。

作業の進行につれ、着工当初の昂揚が次第に鎮もっていったことを文は明かしている。二層目ができて三層目にかかるころ、「なぜだか知らず、ひどく身近でない思い」(*)を塔に対して文は抱くようになっていた。

(*)「塔はこれからさき」『幸田文全集第20巻』p.152(1975年4月、『ございません』第12回目)昂揚の鎮静化、また完成後のよろこびの無さ、安堵感の無さについては他に、「上棟」(1975年1月1日、『幸田文全集第20巻』)「法輪寺の塔」(談話)(1979年10月10日、『幸田文全集第22巻』)参照。

木材小屋で丹精込めて部材に仕上げられ、運び出されて本体に組み込まれ納まるべき場所に納まり、塔という形として昇華する。他方で木材小屋は今や空になって寂寥感を漂わせている。この塔に対する距離を文は咀嚼できず、誰かに話したくもあったが、自分一人のことと思って話すことはためらわれた。が、それは文のみの感慨ではなく、大工たちも同様であることが間もなく確かめられた。


さらに、飛鳥の工法による建造が起こす特殊な感慨のみならず、この昂揚の鎮もりと寂寥感が、再建が一時頓挫し、木材が塔として立つあてなく横たわったままでいた状態で響いていた「のみ」の音の充実した寂寥と鋭く相反していることに注目しよう。

空しく横たわったままの木材、再建の頓挫は、「のみ」の音に収斂して文を強く刺激したが、それは取りも直さず、崩壊や焼失、役立たずの半端物、そして死といった、そのおぞましさにおののきながらも哀れを催さずにはおられぬような、幸田文の作品群に特有な事象の系列に属する事柄・状況だった、ということだと思う。

ところが、ひとたび具体的に建造が始動するや、設計の竹島卓一と棟梁の西岡常一の間で、金属の補強材を使う使わないで激しい葛藤があったようだが、それにもかかわらず、工事の全体は有能な大工たちにより、順調に、予定を上回る速さですみやかに終了した、というか、すみやかに終了してしまった。木が堅牢に、しかも順調に組み上げられていくということ自体は、幸田文を創作へと駆り立てる事象系列からは外れているのではないか。

かといって、塔の建造にまったく感興が欠けていたなどと言おうとするのではもちろんない。工事の進捗につれて鎮もっていったとは言え、着工当初に新鮮な昂揚があったことは確かだろう。だがそれは幸田文の作品として結実する類の感興ではなかったのだろう。その辺も、塔再建を対象とした長編作品が書かれなかった理由の一つではないかと思われる。

実際、三重塔再建から汲まれて断片ながらも作品化されて印象深いものは、作品集『木』に使われた木材の歪み捩れのアテと死んだ木、また、もとの性質を死なせる壁土の腐熟、鳶の須屋根(足場)とちどりがけ等、いずれも幸田文が好んだ周辺的な「変なもの」ばかりで、残された断片からは具体的に塔が組まれて形を成すイメージがなかなか結ばれない。


だがしかし、そういったもどかしさをも含めて、塔についてのまとまった作品が書かれることなく、断片が所在なげに散在している状態というのは、無駄に良材大材が横たわったままでいた塔再建の頓挫にも似て、多分に幸田文的な衝動を駆り立てる誘惑に充ちている、と言えるのではあるまいか。

次回は参考文献として、幸田文の塔に関連するテクストの一覧を掲げる。


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