ジョン・ボウルビィによる悲哀の4段階 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

ジョン・ボウルビィによる悲哀の4段階

喪の作業、そして強迫的儀礼としての?〈34〉


コルトレーン、ヘロインを断つ その66



喪の作業を喪の4段階、或いは悲哀の4段階として具体的に記述したのは、イギリスの精神分析学者ジョン・ボウルビィ John Bowlby(1907-1990)でした。


第二次大戦後の戦災孤児の調査や、乳幼児と親の関係の研究の成果を踏まえ、精神分析のみならず、動物行動学の知見の援用、統計的手法の採用等によって、ボウルビィは喪の作業が4段階を経ること、さらにはどういう場合に喪の作業が失敗して病理を生ずるか、を明らかにしたのです。


[追記: あたかもボウルビィがフロイトに続いて初めて喪の作業の具体相について明らかにしたかのように書かれてしまっていますが、不勉強でした。先駆的な研究はエリック・リンデマン Erich Lindemann が既に1944年に発表しており、喪の作業全般を細かく段階分けしたのはジェラルド・キャプラン Gerald Caplan が最初(?)ということのようです。ボウルビィは自身の研究及びこれら先駆者達の調査研究を集約した、ということなのかも知れません。参考書:野田正彰『喪の途上にて』第3章(1992年刊、岩波書店)。]

まず具体的に提示された喪=悲哀の4段階をみてみましょう。この4段階は時に相前後しつつも概ね以下の順序で経過します。なお、ボウルビィはこの一連の心理過程を「モーニング mourning =喪 or 悲哀」と呼び、その心理過程中に経験する落胆や絶望を「悲嘆 grief」と呼んで区別しました。



第1段階: 無感覚・情緒危機の段階


死を知らされた直後の反応及び、その後数時間~1週間続く無感覚の段階。一種の急性のストレス反応。激しい衝撃に茫然としてしまい、死を現実として受け止めることができない。死という事実を納得できず、あたかも夢の中でのことのように感じられ、信じられない。この状態が強烈な苦悩や怒りの爆発に至ることもある。



第2段階: 思慕と探求・怒りと否認の段階


喪失を事実として受け止め始め、強い思慕の情に悩まされ深い悲嘆が始まる。しかし他方でいまだ喪失を充分には認めることができず、強い愛着が続いている段階。故人がまだ生きていると思い、われ知らず探し求めたり、故人の食事の準備をしたりしてしまう(*)、といった喪失という現実に対する否認も顕著。またこの時期には喪失に対する責任を巡って、或いは見込みのない探索のフラストレーションから怒りや抗議も見られる(**)。


(*)これには否認、という病理的な機制だけでなく、単純に脳のニューロンが故人をいまだ生きているものとして記憶しており、更新されていない、ということもあるかも知れません。喪の作業に時間がかかる所以の一つではないかと思います。やはり脳の神経細胞は一挙につなぎ変わるというわけにはいかない、ということですかね。


(**)動物行動学の知見から、失われた対象の探索に際して怒り・抗議が有効で合理的な反応であることが傍証されている。



第3段階: 断念・絶望の段階


対象喪失の現実が受け入れられ、愛着は断念される。それまで故人との関係を前提に成立していた心の在り方・生活がすべて意味を失い、絶望、失意、抑うつ状態が支配的になる段階。心理的レベルのみならず、免疫力の低下といった身体への影響も指摘される。



第4段階: 離脱・再建の段階


それまで向けられていた愛着が故人から離れ、故人の思い出は穏やかで肯定的なものとなり、場合によっては新しい愛着の対象が見出される段階。新しい人間関係や環境の中で、死別者の心と社会的役割の再建の努力が始まる。



通常、この一連の段階が省かれることなく、一つ一つクリアされていけば、悲嘆からの最終的な回復に至ることができます。しかしこの過程がなんらかの好ましくない経過を辿ると悲哀は病的なものとなることもあります。


では、どういう場合に喪の作業が失敗し、病理を生じてしまうのでしょうか。そしてそれはどのような症状なのでしょうか。ボウルビィの見解に加え、イギリスの精神科医コリン・マレイ・パークス Colin Murray Parkes(1928-)の死別に関する研究を参照しつつ取りまとめてみます(パークスの調査・研究はボウルビィの著作でもいくつか引用されています)。



喪の作業の経過が悪い場合の因子


予期せぬ突然の死: 死別への心の準備ができていない場合、その予後が良くないことが多いようです。不安や自責、抑うつといった情緒障害がかなりの強度で発生し、1年では収まらず、2年、3年と続き、悲嘆は慢性的なものとなります。


悲嘆の遅延: 第1段階の無感覚の状態が1週間以上続き、悲嘆が表出されない場合も良くないようです。1、2ヵ月後に遅れて悲嘆が生じますが、正常な場合に比べ、激烈で破壊的なものとなります。そして多くはうつ状態を呈します。


悲しみを抑えつけること・悲嘆の抑圧: 悲嘆の遅延に似ていますが、こちらはよりポジティヴに悲嘆を抑えつけようとする意識的な努力が逆に禍します。人から励まされたり、いつまでも悲しんではいられない、と自分で積極的に意志し、仕事や勉強に打ち込んで悲しみを忘れようとする、強迫的な防衛のケースです。その後、何事もなかったかのように社会的適応も良いですが、命日反応といって、命日が巡ってきたりすると突然うつに襲われたり、故人の死因となった病気を心気症的に模倣するような症状が出たりします。中年期に入ってからうつ病にかかってしまう場合もあります。


※上記の3つの因子からは、悲嘆の苦痛は極端に、或いは過剰に防衛されてはならず、適度に防衛されつつ徐々に受容されていくのが望ましいらしい、ということがわかります。


生前の死者との感情的葛藤・愛憎のアンビヴァレンス(感情の両価性 affective ambivalence ): 例えば、夫婦間で愛憎の振幅が激しく、たびたび諍いがあった場合などは、死後、生前相手に向けられていた怒りの衝動が内向し、強い罪責感を生むことがあります。


死者への強い依存、強い愛着: 死別者が故人に生前心理的に強く依存していた場合。これはわりと想像しやすいと思います。対象への激しい愛着、強い歪んだ依存が、それに見合った強度で喪失のショックをもたらすだろうことは明らかです。但し、経済的・物質的な依存は死別の予後にはあまり影響しないようです。



さらに、上記のケースに付随しつつ、悲哀を病的なものとする、その他の要因をざっと列挙してみます。


・死因についての情報。死因が明らかかどうか。死に関する不完全だったり、誤ったりしている情報は悲嘆の欠如の主要な原因となる。死は情緒的に受容されるだけでなく、道理に叶い意味の通るものとして知的に認識される必要がある。


・子供に死を隠すこと。葬儀に参加させない。故人はまだ生きていていつか戻ってくる、等の虚偽の説明。


・複数のストレス要因。死の累積。災害などで同時に、或いは一年以内に、複数の近親者を喪失する場合。また、喪失に加えて、重篤な病気に罹る、それまで同居していた成人の子供が転居した等、他のストレスが重なった場合。


・長期に渡る不治の病の看護。


・遺体の状態。損傷を受けている場合。


・死の責任が誰かに帰される場合。死の必然が得心できず、怒り・非難が生ずる場合。


その他、精神病の既往歴、性、年齢、パーソナリティ、社会階級、宗教、等の因子が大きく関与する場合もあります。詳細は最後に掲げる参考文献に当たって下さい。



このように具体的な諸相が提示されると、喪の作業について経験のない者にとってもいくらか理解しやすいものとなります。ただ何故そうなるのか、についてはフロイトのように精緻な理論が練り上げられているわけではなく、些かの物足りなさを感じないでもありませんが、死別をきっかけに生ずる精神の病に対する実践的な予防やケアを準備するにはそれで充分、ということなのかもしれません。 (つづく)



参考文献


ジョン・ボウルビィ『母子関係の理論 Ⅲ 対象喪失』
黒田実郎・吉田恒子・横浜恵三子訳、岩崎学術出版社、1981年(原著は1980年)。


C・M・パークス&ロバート・S・ワイス『死別からの恢腹』
池辺明子訳、図書出版社、1987年(原著は1983年)。


C・M・パークス『死別』
桑原治雄・三野善央訳、メディカ出版、1993年(原著は1973年?)。


小此木啓吾『対象喪失』
中公新書557、中央公論社、1979年。


『悲嘆の心理』
松井豊編、サイエンス社、1997年。




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